北フランスとブルゴーニュ、およびアーリー・イングリッシュとは? わかりやすく解説

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北フランスとブルゴーニュ、およびアーリー・イングリッシュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:27 UTC 版)

ゴシック建築」の記事における「北フランスとブルゴーニュ、およびアーリー・イングリッシュ」の解説

シャルトルはじめとする大教会堂が建設されていた頃、イングランドノルマンディライン川一帯、そしてアルプス山脈周辺部では、これらとは違ったゴシック建築形成されようとしていた。北方地域では、ゴシック建築特有とされる薄い壁に対す意識少なく、むしろ構造壁の厚みを利用した意匠好まれた。 オセールサン・テティエンヌ聖堂は、1215年起工されたもので、内部クリアストーリ、トリフォリウム、アーケード3層構造から成るが、中間部のトリフォリウムは二重シェル式壁(ミュール・エペ)を意識しており、通路状で背が高く小円によって分節される。この教会堂と同じ立面有するものが、1220年頃に起工されたディジョン教区教会堂であるノートルダム聖堂である。ただし、こちらは下方の窓の部分とトリフォリウムの上部(クリアストーリ下部)に通路設けられている。両教会堂ともに、その他の意匠初期ゴシックのもので、クリュニー修道院ノートルダム聖堂リヨン大聖堂身廊部分シャロン=シュル=ソーヌ大聖堂なども、ほとんど同じ意匠内部空間を持つ。 カンタベリーでの大聖堂建立によって、イングランドゴシック建築1180年頃から定着しはじめる。アーリー・イングリッシュ(early english)と呼ばれる段階における著名な建築物1225年頃に起工したリンカン大聖堂身廊である。カンタベリー大聖堂由来する意匠を持つが、トリフォリウムは身廊解放され通路状のものではなくイングランドロマネスク建築見られる屋根裏開いた開口部となっている。壁面はかなり厚く作られており、全体的にずんぐりとした印象で、シャルトル大聖堂のような上方への指向性はない。 ウェストミンスター寺院は、このようなアーリー・イングリッシュの形態対し大陸のレヨナン式の意匠上手く融合させ、新たな空間創出した。ウェストミンスター様々な要素、トリフォリウムやクリアストーリ典型的なイングランド形態であるが、三葉形と多弁飾り複合トレーサリーといった装飾や、後陣ヴォールト架構明らかに大陸由来のものである。特に窓のトレーサリーは、以後イングランドゴシック建築大きな影響与えた

※この「北フランスとブルゴーニュ、およびアーリー・イングリッシュ」の解説は、「ゴシック建築」の解説の一部です。
「北フランスとブルゴーニュ、およびアーリー・イングリッシュ」を含む「ゴシック建築」の記事については、「ゴシック建築」の概要を参照ください。

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