北バージニア方面作戦時の編成
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「北バージニア軍」の記事における「北バージニア方面作戦時の編成」の解説
7日間の戦いでの軍の編成では、未だに指揮系統上の問題で苦しんだ。このため、リー大将は北バージニア軍を再度分割し、軍団制度に類似した組織とし、それぞれ「右翼」および「左翼」と命名した。1862年8月28日の編成は以下のとおりであった。 軍司令官:ロバート・E・リー大将 翼師団旅団・支援部隊指揮官右翼 ジェイムズ・ロングストリート少将 直轄 3個砲兵大隊 アンダーソン師団 3個旅団 リチャード・アンダーソン少将 ジョーンズ師団 3個旅団 David Rumph Jones准将 ウィルコックス師団 3個旅団/2個砲兵中隊 カドマス・M・ウィルコックス准将 フッド師団 2個旅団 / 1個砲兵大隊 ジョン・ベル・フッド准将 ケンパー師団 3個旅団 ジェイムズ・ケンパー准将 エヴァンズ旅団/ 1個砲兵中隊 Nathan George Evans准将 左翼 ストーンウォール・ジャクソン少将 ジャクソン師団 4個旅団 / 1個砲兵連隊 William B. Taliaferro准将 ヒル軽師団 6個旅団 / 1 個砲兵連隊 A・P・ヒル少将 イーウェル師団 4個旅団 / 1個砲兵連隊 リチャード・イーウェル少将 騎兵師団 3 個騎兵旅団 / 1個砲兵中隊 J・E・B・スチュアート少将 予備砲兵部隊は、2個砲兵連隊と2個砲兵大隊で構成されていた。これらの部隊は北バージニア方面作戦の間リッチモンド近郊にあり、1862年9月3日に軍本体に合流した。A.P.ヒル少将の師団も北軍ジョージ・マクレランをできるだけ長く引きつけておくため、リッチモンドの東側で待機していた。北軍ポトマック軍がジョン・ポープのバージニア軍支援のために移動することが明確となった時点で、リーはヒル師団に北方へ移動するように命令した。しかし、ヒル師団は北バージニア方面作戦での戦闘に加わることはなかった。作戦を通じて、約54,000の兵が従軍した。
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