内苑とは? わかりやすく解説

ない‐えん〔‐ヱン〕【内×苑】

読み方:ないえん

宮城神社などの中庭。⇔外苑


内苑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 09:23 UTC 版)

明治神宮」の記事における「内苑」の解説

鎮守の杜 内苑の全敷地大半占める。都心部貴重な緑地として親しまれているだけでなく、人工林意図的に自然林化されたものとしても注目されているこの中にはほかの皇居などを除けば広い緑地少な東京都心部では通常見られないような生物生息し続けており、動物学昆虫学的にも非常に貴重なとなっている。 神宮鎮座以前社地のほとんどは原野広がっており、地元では「代々木の原」と呼ばれていた。そのため、神社設営のために人工林作ることが必要となり、造園に関する一流学者らが集められた。設計携わった人々挙げると、林学では本多静六本郷高徳上原敬二田村剛川瀬善太郎中村斧吉(林苑課長)大溝勇、山崎志、中島卯三郎農学/造園では原煕大屋霊城狩野力太田謙吉森一雄水谷駿一田阪美徳寺崎良策高木一三、森一雄井本政信北村弘、横山信二石神甲子郎また、奈良女子高等師範学校(現:奈良女子大学)の折下吉延らが参加した。折下らは神宮外苑イチョウ並木などもデザインする。 こうして集められ明治神宮造営局の技師らは1921年大正10年)に「明治神宮境内 林苑計画」を作成した現在の生態学でいう植生遷移サクセッション)という概念がこの時に構想され、林苑計画応用された。通常神社荘厳な鎮守の杜としてイメージされるのヒノキなどの針葉樹林であったが、代々木暖帯であり、なおかつ都心近く煙害に強い必要があることから、針葉樹不適とされた。そのため、最終的に広葉樹、特に中心とした広葉樹林目指すことを提言した当初成長早い針葉樹あわせて植林し遅れて広葉樹成長させ、年月経て、およそ100年後には広葉樹中心とした極相林クライマックス)に到達するという、手入れ施肥など皆無永遠の森形成されることを科学的に想定した。いわば、これが造園科学的な植栽計画嚆矢であって日本における近代造園学創始とされている。 提言発表され当初一部世論では「神聖な神宮にやぶはよろしくない」と、反対意見出た時の首相大隈重信も、伊勢神宮のような杉林想定していたが、設計チームらが直談判し仁徳天皇陵などを参考にしたことを説明大隈同意取り付けた。なお、植林事業そのもの1915年大正4年)には開始されている。 創建当初外地朝鮮半島台湾含めて全国から365種約12本が献木され、計画的に植えられた。戦後から1960年代にかけてクロマツが約2000本、アカマツが約1000本が公害病虫害影響により枯死一方1970年代には煙害抵抗力があるとして植えられクス類が確実に本数伸ばし森林遷移順調に進んでいることが確認された。1970年昭和45年)の調査時には24717本、2019年時点では樹木数は約36000本に減っている代わりに残った木が巨木化しつつある。これは参道掃き清める際に集めた落ち葉に戻す以外は人為的な手を加えず変化自然淘汰任せているためである。 神宮御苑 正式名称明治神宮御苑江戸時代から大名下屋敷庭園として使われていた。明治時代宮内省所轄する南豊御料地となり、代々木御苑呼ばれた。ここは明治天皇昭憲皇太后にゆかりの深い名苑であり、この地の風光こよなく愛した皇太后はしばしば行啓したほか、明治天皇は隔亭という御茶屋を建て、四阿あずまや)を作り、池には菖蒲植え回遊歩道設けて美し庭園とされた。内苑の中で唯一神社鎮座前から樹木生えていた。 隔亭は太平洋戦争末期アメリカ軍による空襲によって焼失したが、戦後篤志家によって復元された。 現在、苑内には隔亭やあずまやのほか、お釣台、菖蒲田清正井などがある。菖蒲田ハナショウブ花菖蒲)は明治天皇昭憲皇太后のために植えさせられたといわれ、6月最盛期である。また、11月下旬から12月上旬には、紅葉愛でることが出来る。拝観有料であり、料金大人500円16時30閉門である。 明治神宮会館 鎮座五十年を記念して1972年6月清祓され、翌73年1月こけら落としとなったホール毎年2月11日建国記念の日慶祝中央式典や、5月全国赤十字大会コンサート入学式卒業式などで利用されており、客席数は1914席(1階1340席、2階574席)である。 明治神宮神楽殿 1993年平成5年造営内田祥哉+アルセッド建築研究所 設計)。本殿向かって右側に位置する厄祓い受験生合格祈願初宮参り七五三詣などを執り行っている。 明治神宮ミュージアム 2019年令和元年10月26日鎮座百年記念事業一環で、新たな宝物館としてが開館した隈研吾設計)。 参道 都心に近い本殿東側各種施設大半整備されており、ここを参道南北貫いている。 創建前にすでに北側外苑予定地と馬車道直接接続していることから、北側からの参道を正参道とする計画であったが、すると大鳥居本殿から見て鬼門にあたる東北になることから反対意見出て南側を正参道とした。また、参道本殿接続として、すべての社殿一時に拝することを目的に、東側南面する諸社殿からみて左側)から参入する計画であったが、側面美の誇示前面に出すぎていることから、南側正面から参入する形に改められた。本殿から南に直進する御苑突き当たるが、御苑突き抜けることには御苑側の担当者から反対されたため、手前東側折れ曲がり東側参道合流している。 南側の正参道から外部伸びる大通りは「表参道」と呼ばれている。「表参道」という呼称自体社寺一般のものであるが、注釈なしで「表参道」と呼称する場合は、明治神宮のそれを指すものが多い。内苑の目の前を横切る国鉄(のちJR山手線を跨ぐ陸橋神宮橋」は、鎮座先立つ1920年大正9年9月完成したRC構造長さ20.4メートル幅員29.1メートルである。 北参道鳥居通じ参道明治通り北参道交差点始点)はかつて「裏参道」と呼ばれていた。 ギャラリー 社殿遠望 三ノ鳥居 大鳥居 フランス・ブルゴーニュから献納されたワイン明治天皇が健康のためにワイン好んで飲んだことにちなむもの 酒樽 明治神宮御苑花菖蒲 参道 元日初詣 大鳥居2012年1月撮影元日初詣神門2012年1月撮影元日初詣 拝殿前(2012年1月撮影女性絵馬 秋の大祭での古武道奉納2012年11月撮影) 秋の大祭での流鏑馬奉納2012年11月撮影) 秋の大祭での古武道火縄銃奉納2012年11月撮影1938年当時同盟国ドイツヒトラーユーゲント来日し明治神宮訪問した 奉賽殿に向かって歩む参進

※この「内苑」の解説は、「明治神宮」の解説の一部です。
「内苑」を含む「明治神宮」の記事については、「明治神宮」の概要を参照ください。

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