サマラトゥンガ王とは? わかりやすく解説

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サマラトゥンガ王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/16 13:41 UTC 版)

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サマラトゥンガ
シャイレーンドラ朝君主
在位 812年 - 832年
死去 832年
配偶者 タラ
子女 プラモーダヴァルダニー
バーラプトラ
王朝 シャイレーンドラ朝
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サマラトゥンガ王(Samaratunga、? - 832年)は、8世紀から9世紀にかけてインドネシアの中部ジャワに栄え、大乗仏教を奉じたシャイレーンドラ朝の王(在位:812年 - 832年)。

概略

古マタラム王国のサンジャヤ王の子孫(サンジャヤ朝)は、シャイレーンドラ朝に服属し、その証として従来のシヴァ信仰を保持しつつもボロブドゥール寺院への寄進を行っていた。シャイレーンドラ王家とサンジャヤ王家との関係は必ずしも敵対的ではなく、サマラトゥンガ王の娘でシャイレーンドラ王女のプラモーダヴァルダニーとサンジャヤ朝の王子ラカイ・ピカタンは婚姻関係を結んでいる。

サマラトゥンガ王治下の824年、王はボロブドゥール寺院の工事を再開しており、それは833年まで続いているが、サマラトゥンガの死没した832年、王の後継者バーラプトラが未だ幼いことから、その姉にあたるプラモーダヴァルダニー英語版がシャイレーンドラ朝の摂政となった。

しかし、その後、実権はプラモーダヴァルダニーの夫ラカイ・ピカタン英語版にうつり、2人はチャンディ・ロロ・ジョングランをはじめとするプランバナン寺院群を建造した。これによって、中部ジャワの地は、再びシヴァ信仰を奉ずるヒンドゥー教勢力に支配され、大乗仏教はジャワより後退した。

832年以降、シャイレーンドラ朝は碑文にも史料にも現れなくなってしまうが、833年を最後にボロブドゥールの改修も終わっている。シャイレーンドラ王家のその後の消息を伝える唯一の碑文によると、後継者争いに破れたシャイレーンドラ家最後の王子バーラプトラは、856年スマトラ島シュリーヴィジャヤ王国へ逃れ、その王女と結婚したとしている。

関連項目

先代:
サングラーマグナンジャヤ
シャイレーンドラ朝君主
812年 - 832年
次代:
バーラプトラ
(摂政:プラモーダヴァルダニー)



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