サマラン (帆走フリゲート)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > サマラン (帆走フリゲート)の意味・解説 

サマラン (帆走フリゲート)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/24 06:47 UTC 版)

サマラン
サラワクで座礁・浸水した「サマラン」
基本情報
建造所 コーチ (インド)
運用者  イギリス海軍
級名 アソール級(Atholl class)28門6等艦フリゲート
艦歴
発注 1819年6月5日
起工 1821年3月
進水 1822年1月1日
竣工 1824年6月7日
最期 1883年11月
要目
トン数 499bmトン(設計値)
長さ 113 ft 8 in (34.65 m)(放列甲板)
94 ft 8+34 in (28.873 m)(キール)
31 ft 6 in (9.60 m)
深さ 8 ft 9 in (2.67 m) (庫内)
推進 帆走 (3本マスト・横帆)
乗員 175人
兵装
  • 上甲板:32ポンドカロネード砲 x 20
  • 後甲板:18ポンドカロネード砲 x 6
  • 船首楼:9ポンド砲 x 2
テンプレートを表示

サマラン(HMS Samarang)は、イギリス海軍の28門搭載アソール級(Atholl class)木造(チーク材)フリゲートである。

「サマラン」はイギリス東インド会社によって、1822年にインドのコーチで進水した。

世界中の幾つかの艦隊に所属し、アヘン戦争にも参加した。1843年から1846年にかけてエドワード・ベルチャーの指揮下でボルネオや東南アジアの調査を行なっている[1]。この間の1843年には沖縄[2][3]、1845年には長崎に来航し、天保の薪水給与令に従って薪水の補給を受けている。その後ジブラルタルにて1847年5月の艦種変更で警備艦となり、1883年に解体のために売却された[4][5][6]

脚注

  1. ^ Narrative of the Voyage of H.M.S. Samarang during 1843-1846 (1848)
  2. ^ ベルチャーのサマラン号航海日誌の内、沖縄関係は「サマラン号の八重山来航記」として安積鋭二の訳がある
  3. ^ 英国軍艦サマラン号通詞見聞記
  4. ^ "William Loney"
  5. ^ Naval database
  6. ^ National Maritime Museum



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「サマラン (帆走フリゲート)」の関連用語

サマラン (帆走フリゲート)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



サマラン (帆走フリゲート)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのサマラン (帆走フリゲート) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS