中部ジャワの支配とボロブドゥールの造営
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/07 00:27 UTC 版)
「シャイレーンドラ朝」の記事における「中部ジャワの支配とボロブドゥールの造営」の解説
シャイレーンドラ王家の碑としてはカラサン碑文(英語版)(778年)、クルクタ碑文(英語版)(782年)があり、シャイレーンドラの中部ジャワでの支配が確立したのは、パナンカラン(英語版)大王が「山からの王(シャイレーンドラ)」という称号が与えられて以来とされている。その後、一時はヒンドゥー教を奉ずる古マタラム王国を圧倒した。 王家は大乗仏教を保護し、ボロブドゥール寺院を造営した。 ボロブドゥール寺院は底部の一辺が120メートル、高さ約42メートルという巨大な石造ストゥーバである。ボロブドゥールは、ダルマトゥンガ王(ヴィシュヌ王)(在位:775年以前 - 782年)治下の780年頃から建造が開始され、サングラーマグナンジャヤ王(在位:782年 - 812年)治下の792年頃に一応の完成をみたと考えられ、サマラトゥンガ王(在位:812年 - 832年)のときに増築されたものとみられている。 ダルマトゥンガ王は、サリ寺院(チャンディ・サリ)や、とくにプランバナン渓谷のカラサンに建てたチャンディ・スヴーを中心とする240の付属寺院からなる複合建築(総称してカラサン寺院)を建立しており、このころ、文学では、サンスクリットの辞典『アマラテラ』を古代ジャワ語(英語版)に翻訳する作業に着手している。 ダルマトゥンガ王の死後、その王子が後を継いだ。これがサングラーマグナンジャヤ王(サングラーマ王)である。王は、800年ごろにチャンディ・セウを建立している。プランバナン村の北に位置し、1つの大きなチャンディを中心に340もの小さなチャンディをめぐらせたものであるが、大部分が崩れ、現在に至っても修復されていない。 ボロブドゥールの東約3キロメートルには、ムンドゥット寺院(チャンディ・メンドゥート)があり、堂内に安置された3体の石造仏で知られる。ことに中央の如来倚座像は、その美しさで知られる。ボロブドゥールとムンドゥットの両寺院の間にはパオン寺院があり、3寺院は一連の構造物であるとの見方もある。これは、825年にサングラーマナンジャヤ王の子、サマラトゥンガ王によって増築ないしは建立されたものである。こんにち、ボロブドゥール寺院とムンドゥット寺院、パオン寺院はボロブドゥール寺院遺跡群として、一括して世界遺産に登録されている。 シャイレーンドラ全盛時代にあっては、古マタラム王国のサンジャヤ王の子孫はこれに服属し、シヴァ信仰を保ちながら、仏教建造物への寄進をおこなった。両王国の関係は必ずしも敵対的ではなく、9世紀中ごろにはサマラトゥンガ王の娘と考えられるシャイレーンドラ王女プラモーダワルダニーとサンジャヤ朝の王子ラカイ・ピカタンが結婚し、プランバナン寺院群を完成させた。まもなく、シャイレーンドラ王家出身のサマラーグラビーラは勢力争いに敗れてシュリーヴィジャヤに逃れ、その地の王となったと考えられている。
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