紀元前0年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/13 16:34 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動千年紀: | 紀元前1千年紀 |
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世紀: | 前2世紀 - 紀元前1世紀 - 1世紀 |
十年紀: | 前30年代 前20年代 前10年代 - 紀元前0年代 - 0年代 10年代 20年代 |
年: | 前9年 前8年 前7年 前6年 前5年 前4年 前3年 前2年 前1年 |
紀元前0年代(きげんぜんぜろねんだい)は、紀元前1世紀の最後の9年間である紀元前9年から紀元前1年までの期間を指す便宜上の呼称である。
概要
ユリウス暦においてもグレゴリオ暦においても(紀元)0年という年は存在せず、紀元前1年の翌年は(紀元)1年である。そのため、「紀元前0年代」という表現は通常は存在しない。
ただし、天文学やISO 8601(日付と時刻の表記に関する国際規格)では、紀元1年の前年(すなわち紀元前1年)を西暦0年、その前年(紀元前2年)を西暦-1年と定めている。
1年は西暦の最初の年である。525年にローマの神学者ディオニュシウス・エクシグウスは、525年前にイエス・キリストが顕現したと宣言した[1]。
ディオニュシウスが「顕現」と言ったのは、キリストの誕生か受胎のどちらを表すのか、また525年前と言ったのは、紀元前1年と紀元1年かどちらを表すのかについて、現在の学者の間でも議論がある。いずれにせよ、現在ではキリストはこの年より数年早く生まれたと考えられている。
できごと
紀元前9年
紀元前8年
- 今日のドイツにコブレンツの街が建設された。
紀元前6年
- ウサギの伝染病を抑えるため、アウグストゥスがバレアレス諸島にフェレットを放った。このフェレットはガイウス・プリニウス・セクンドゥスにより'viverrae'と名付けられた。
- ティベリウスがアルメニアに転戦し、その後ロドス島に撤退した。
- 紀元前6年-紀元前4年 - イエス・キリストが生まれた。
紀元前4年
- ヘロデ・アルケラスがユダヤの行政長官になった。ヘロデ・アンティパスがガリラヤとパレアの四分領主になった。
紀元前2年
紀元前1年
- 今日のスペインにアルカラ・デ・エナーレスの街が建設された。
- オウィディウスによって『恋愛術(恋の技法)(原題:Ars amatoria)』が書かれた。
主な人物
- イエス・キリスト
- ティグラネス4世:アルメニアの王
- エラトー:アルメニアの女王
- アルタウァスデス3世:アルメニアの王
- 成帝:前漢の皇帝
- 哀帝:前漢の皇帝
- 平帝:前漢の皇帝
- 王莽:新朝の皇帝
- 董賢:前漢の役人
- アンティオコス3世:コンマゲネの王
- アルミニウス:ケルスキ族の族長
- 垂仁天皇:日本の天皇
- フラーテス4世:パルティアの王
- フラーテス5世:パルティアの王
- ムサ:パルティアの王妃
- アウグストゥス:ローマ帝国の皇帝
- 大ドルスス:ローマの執政官
- ガイウス・カエサル:ローマの軍人
- ティトゥス・リウィウス:ローマの歴史家
- オウィディウス:ローマの詩人
- クイリニウス:ローマの政治家、貴族
- ティベリウス:ローマ帝国の皇帝
- ヘロデ大王:ユダヤの王
- 赫居世居西干:新羅の王
脚注
注釈
出典
- ^ Nineteen Year Cycle of Dionysius First Argumentum.
- ^ Eck, 3.
関連項目
外部リンク
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紀元前0年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 08:08 UTC 版)
詳細は「紀元前0年代」を参照 紀元前9年ローマがパンノニアを占領し、属州イリュリクムに併合する。 ローマで「アウグストゥスの平和祭壇(アラ・パキス)」が奉献される。 紀元前7年 - 前漢で限田法が布告される。 紀元前7 - 4年頃 - ナザレのイエス生誕。 紀元前2年 - 大月氏の使者伊存が「浮屠経(仏教の経典)」を博士弟子の景廬に口授する(『魏略』西戎伝)。 紀元前1年 - 前漢で丞相・御史大夫・大司馬将軍が大司徒・大司空・大司馬に改称され三公とされる。前漢の哀帝が死去し平帝が即位。大司馬の董賢が失脚し、王莽が大司馬となる。 紀元前後モンゴル高原北部のノイン・ウラの匈奴の墓が築かれる。 倭人が百余国に分かれて、一部の国が前漢の楽浪郡に朝献する(『漢書』地理誌)。 日本:弥生時代弥生文化が関東地方に波及する。 近畿地方を中心に銅鐸、西日本に青銅製武器形祭器による祭祀が行われる。階層の秩序化すすむ。 関東地方や東北地方南部に縄文時代の一墓制である再葬墓が見られる。 北部九州では甕棺墓が盛行し、その中の一部のものが多くの前漢鏡を副葬する。 北部九州では、鉄器や鉄製農具が使用される。また吉野ヶ里遺跡のような巨大集落現れる。 北部九州勢力と畿内勢力の間で、鉄の獲得のための軍事的緊張が高まる。
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