紀元二千六百年記念富山県立図書館の開館
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「富山県立図書館」の記事における「紀元二千六百年記念富山県立図書館の開館」の解説
富山県における県立図書館設置運動は、1900年(明治33年)12月6日に富山県実業協会と富山教育会が共同して県知事及び県会に対して建議書を提出したことに始まる。北陸政論社もまた社論を以てこれを応援したが、富山県はその要求を容れず、建議は立消えとなった。1909年(明治42年)10月1日に開設された富山市立図書館は「当分県立ノ代用ニ当タラレタキコト」が求められていたが、1933年(昭和8年)7月1日の図書館令改正によって中央図書館制度が定められ、1934年(昭和9年)5月1日に富山市立図書館が富山県中央図書館に指定されると、富山市の財政を以てしては中央図書館としての活動が十分に果たし得ないという声が高まった。かくて富山県立図書館の設立を求める声は日を追うて高まり、1940年(昭和15年)に迎える紀元二千六百年記念行事の一環として県立図書館を開設しようという考えが各層より起った。1939年(昭和14年)11月27日には矢野兼三富山県知事が県会において「県民性伸長助長策として」県立図書館を設置することがふさわしいとの考えを披瀝し、同年12月の通常県会に県立図書館開設計画を含んだ予算案を提出、同月14日可決された。超えて1940年(昭和15年)2月11日には松浦鎮次郎文部大臣が富山県立図書館の設立を認可し、4月1日には富山市総曲輪に紀元二千六百年記念富山県立図書館が設置された。同年5月10日に富山市立図書館は中央図書館の指定を解除され、代って県立図書館が中央図書館となったが、開館式を挙行したのは同年11月30日のことであった。 開館当時の紀元二千六百年記念富山県立図書館の館舎には公会堂として用いられていた大正会館(旧富山県会議事堂)を代用した。当初予算は図書館費5万円、貸出文庫費2千円と少なく、しかも職員はわずか8名しかいなかったが、開館までに1万冊を収集し、うち4500冊の整理を完了した。
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