紀元二千六百年式典
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「紀元二千六百年記念行事」の記事における「紀元二千六百年式典」の解説
内閣主催の「紀元二千六百年式典」が1940年(昭和15年)11月10日に、昭和天皇・香淳皇后出御の下、宮城外苑で挙行された。式典のために寝殿造の会場(光華殿)が設営された。式次第は下記の通り。 開会の辞(近衛文麿内閣総理大臣)(その後に最敬礼) 国歌奉唱 近衛首相による寿詞(お祝いの言葉)奏上 勅語下賜 軍楽隊・東京音楽学校による紀元二千六百年頌歌斉唱 万歳三唱 閉会の辞(近衛首相) 紀元二千六百年式典ノ勅語(昭和15年11月10日) ※漢字は常用漢字に改めた。 茲ニ紀元二千六百年ニ膺リ百僚衆庶相会シ之レカ慶祝ノ典ヲ挙ケ以テ肇国ノ精神ヲ昂揚セントスルハ朕深ク焉レヲ嘉尚ス今ヤ世局ノ激変ハ実ニ国運隆替ノ由リテ以テ判カルル所ナリ 爾臣民其レ克ク嚮ニ降タシシ宣諭ノ趣旨ヲ体シ我カ惟神ノ大道ヲ中外ニ顕揚シ以テ人類ノ福祉ト万邦ノ協和トニ寄与スルアランコトヲ期セヨ この模様は日本放送協会(現在のNHKラジオ第1放送)によりラジオで実況中継されたが、天皇が勅語を読み上げる箇所は放送が中断された。これは、ラジオの聴取者がどのような姿勢・体勢で放送を聴いているかが分からないため、不敬とされる状況が生じるのを避ける(不敬罪で取り締まる事も出来ない)ための措置であった。天皇の玉音(肉声)が正式なプログラムとして初めてラジオで流れて、国民が天皇の肉声を聞くのは1945年(昭和20年)8月15日のポツダム宣言受諾を伝える玉音放送である。 なお、翌日11日には同会場で式典同様、昭和天皇・香淳皇后出御の下に奉祝会が行なわれ、高松宮宣仁親王(奉祝会総裁代理)とジョセフ・グルー(第13代駐日アメリカ合衆国大使)による奉祝詞奏上、奈良朝風の奉祝舞楽「悠久」の演舞、高松宮による聖寿万歳三唱などが行なわれた。参列者にはお祝いの食事(食饌)が用意されたが、日本酒のほかはパン・果物など簡素なものにとどめられた。 また、紀元二千六百年祝典記念章が制定され(昭和15年7月27日勅令第488号「紀元二千六百年祝典記念章令」第1条)、紀元節又は紀元二千六百年式典に招かれた者(同第3条1号2号)及び式典の事務並びに要務に関与した者(同3号)に授与された(同第3条)。 紀元二千六百年祝典記念章 箱 表面 裏面
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