紀元前50年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 06:16 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動千年紀: | 紀元前1千年紀 |
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世紀: | 前2世紀 - 紀元前1世紀 - 1世紀 |
十年紀: | 前80年代 前70年代 前60年代 - 紀元前50年代 - 前40年代 前30年代 前20年代 |
年: | 前59年 前58年 前57年 前56年 前55年 前54年 前53年 前52年 前51年 前50年 |
西暦による紀元前59年から紀元前50年までの10年間を指す十年紀。
(きげんぜんごじゅうねんだい)は、できごと
紀元前57年
紀元前54年
- ポンペイウスはローマに初めての議会を建設した。
- はじめて常平倉をおく。
紀元前53年
紀元前52年
- アレシアの戦い : ユリウス・カエサルはアルウェルニ族のウェルキンゲトリクスに率いられたガリアの反乱軍を破った。
主な人物
- ガイウス・ユリウス・カエサル:ローマの政治家、軍人(紀元前100年-紀元前44年)
- クレオパトラ7世:エジプトのファラオ(紀元前70年-紀元前30年)
- グナエウス・ポンペイウス:ローマの軍人(紀元前106年-紀元前48年)
- マルクス・リキニウス・クラッスス:ローマの政治家、軍人(紀元前115年-紀元前53年)
- マルクス・トゥッリウス・キケロ:ローマの政治家(紀元前106年-紀元前43年)
- ウェルキンゲトリクス:アルウェルニ族の酋長(?-紀元前46年)
- カッシウェラウヌス:ブリトン人の王
- コソミウス:ガリアの王
- フラーテス3世:パルティアの王
- ミトリダテス3世:パルティアとメディア王国の王
- オロデス2世:パルティアの王
- スレナス:パルティアの軍人
- 赫居世居西干:新羅の王(紀元前69年-4年)
誕生
- ティトゥス・リウィウス:ローマの歴史家(紀元前59年頃)
- 大セネカ:ローマの雄弁家(紀元前54年頃)
死去
- マルクス・リキニウス・クラッスス:ローマの政治家、軍人(紀元前53年)
- ポセイドニオス:ギリシアの天文学者、哲学者、地理学者(紀元前51年)
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
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紀元前50年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 08:08 UTC 版)
詳細は「紀元前50年代」を参照 紀元前59年西域の南北両道全てを統括する西域都護が設置され鄭吉が任じられる。 前漢の廃帝昌邑王劉賀が死去し、江西省南昌市の海昏侯墓(中国語版)に葬られる。 カエサルらにより「アクタ・ディウルナ(日々の議事録)」と「アクタ・セナトゥス(元老院議事録)」が出される。 カエサルらにより「ユリウス農地法(イタリア語版)(センプロニウス農地法の補正案)」が制定される。 紀元前58年 - カエサルがガリア戦争を開始(- 紀元前51年)。 紀元前56年 - ルッカ会談でカエサルとポンペイウスとクラッススが密約を行う。 紀元前54年 - ローマによるブリタンニア侵攻。 紀元前54年 - 匈奴が東匈奴と西匈奴に分裂。 紀元前53年 - カルラエの戦いでパルティアがクラッススを破る。 紀元前52年アレシアの戦いでカエサルがウェルキンゲトリクス率いるガリア連合軍に勝利。ガリアの組織的な抵抗は終了し、翌年までには属州ガリアとして編入される。 弥生時代の池上曽根遺跡から出土した神殿らしい高床式建物に使用されていた柱を年輪年代測定法で検査すると、この年の伐採ヒノキ材であることが判明した。 紀元前51年匈奴の呼韓邪単于が前漢に入朝し、宣帝と会見する。 石渠閣会議。 紀元前50年 - エジプトの「デンデラの黄道帯(英語版)(ルーヴル美術館蔵)」の天体図はこの年の天球配置を示す。 紀元前50年頃 - アテナイの「ローマ時代のアゴラ」に「風の塔(アンドロニコスの時計塔)」が建てられる。
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