属州ガリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 22:48 UTC 版)
紀元前58年から52年にガイウス・ユリウス・カエサルによって征服されるまでは、フランスの大部分は古代ローマ人によってガリア人と呼ばれていたケルト語を話す人々と、ガリア北海岸のベルガエ人によって占められていた。フランス南部にも、ピレネー山脈と地中海西部に沿って広がっていたイベリア人、地中海東部のリギュール人、マルセイユやアンティーブといったギリシャ植民地、ヴァスコン人、アクィタニア人、南西部の原始バスク人など、複数の異なる言語、文化が存在していた。[要出典] ガリアのケルト人が多数の方言を持つゴール語を話していたことはある程度証明されており、アルプスの南端ではレポント語も話されていた。俗ラテン語から進化したフランス語はこれらのゴール語の影響も受けており、そのうち特に顕著なのは連音現象(リエゾン、アンシェヌマン、子音弱化)とアクセントの無い音節の欠落である。ゴール語起源の統語上の習慣としては、強調を意味する接頭辞re-の使用(例えば、luire「かすかに光る」とreluire「光る」のように、ラテン語の口語における接頭辞re-は、ゴール語のro-やアイルランド語のro-と同じように使われている。)強調構文、発音を表すための前置詞変化、oui「はい」や、それに似た言葉の意味の拡がりなどが挙げられる。 フランス語と近隣のフランス語方言、および密接に関連した言語には、今も200程度のゴール語起源の単語が残っており、それらのほとんどは民衆の生活に関連したものである。その一例として下記が挙げられる。 地理(bief「河口、水車用の水路」、combe「くぼ地」、grève「砂浜」、lande「荒地」) 植物の名前(berl「セリ科植物」、bourdaine「セイヨウイソノキ」、chêne「コナラ」、bouleau「カバノキ」、corme「ナナカマド」、garzeau「ムギセンノウ」、if「イチイ」、velar/vellar「カキネガラシ」) 野生生物(alouette「ヒバリ」、barge「オグロシギ」、belette「コエゾイタチ」、loche「ドジョウ」、pinson「アトリ」、vanneau「タゲリ」) 田舎および農場生活(boue「泥」、cervoise「大麦のビール」、char「荷馬車」、charrue「犂」、glaise「ローム」、gord「魚を取る立て網」、 jachère「休耕地」、javelle「刈り穂積み」、marne「泥灰土」、mouton「羊」、raie「畑の畝」、sillon「畝溝」、souche「切り株」、 tarière「ねじ錐」、tonne「大樽」) 一般的な動詞(braire「どなる、わめく」、changer「変える」、craindre「恐れる、心配する」、jaillir「人、もの、感情などが噴出する」) その他のケルト語の単語は直接ではなくラテン語を通して取り入れられ、そのうちのいくつかはラテン語において一般的に使用される単語となった(例えば、béton「コンクリート」、braies「膝丈のズボン」、 chainse「チュニック」、daim「ダマシカ」、 étain「スズ」、glaive「両刃の剣」、manteaux「コート」、vassal「農奴、召使い」など。)ラテン語は都市部の上流階級の間で貿易、公務、教育などに使用される目的で急速に広まったが、地方の領主や農民たちにとってはほとんど、もしくは全く社会的価値がなかったため、ラテン語が地方にまで普及するのは4、5世紀後のことになる。結果的にラテン語が普及したのは、都市集中型の経済から農場中心型の経済への移行、農奴制など、王政時代の社会的要因によるものと考えられている。
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