紀元前58年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 03:26 UTC 版)
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十年紀 | 前70年代 前60年代 前50年代 前40年代 前30年代 |
年 | 前61年 前60年 前59年 紀元前58年 前57年 前56年 前55年 |
紀元前58年は、ローマ暦の年である。
他の紀年法
できごと
ローマ
- 執政官 - ルキウス・カルプルニウス・ピソ・カエソニヌスとアウルス・ガビニウス
- 護民官プブリウス・クロディウス・プルケルは月に1度、ローマの貧民にトウモロコシを分配する組織を作った。また、マルクス・トゥッリウス・キケロを追放した。
- キプロスがローマ帝国の属州となった。
- ガリア戦争勃発
- 6月 - ガイウス・ユリウス・カエサルがアラル川の戦い (en:Battle of the Arar)でヘルウェティイ族を破った。
- 7月 - ユリウス・カエサルがビブラクテの戦い (en:Battle of Bibracte)で再びヘルウェティイ族を破った。
- 9月 - ユリウス・カエサルがウォセグスの戦いでアリオウィストゥス率いるスエビ族を破った。
エジプト
- ベレニケ4世が父であるプトレマイオス12世の一時的な失脚を受けて、エジプトの女王となった。
アジア
- ヴィクラマ暦元年
誕生
死去
- Go Museo、北扶余の第6代国王
脚注
注釈
出典
関連項目
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紀元前58年(ガリア戦争1年目)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 11:35 UTC 版)
「ガリア戦争」の記事における「紀元前58年(ガリア戦争1年目)」の解説
ガリア・キサルピナとガリア・トランサルピナ、イリュリアの各属州の総督であったカエサルは、ゲルマニア人に圧迫される形で西方へ移住を始めた現在のスイスの山岳地帯にいたガリア人系ヘルウェティイ族へ戦争を仕掛けて、アラル川の戦い、ビブラクテの戦い(英語版)でこれを破り、元の居住地に押し戻した。 ヘルウェティイ族を討伐した後に、カエサルはハエドゥイ族らガリア人の要請により、ローマのガリア制覇への大きな障害となりつつあったアリオウィストゥス率いるゲルマニア人と戦い、プブリウス・リキニウス・クラッスス(クラッススの息子)の活躍もあってウォセグスの戦いで勝利を収め、ゲルマニア人をレヌス川の向こうへと追いやった。
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