ガリア戦争とは? わかりやすく解説

ガリア戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/18 13:42 UTC 版)

ガリア戦争(ガリアせんそう、ラテン語Bellum Gallicum, ベッルム・ガッリクム/ベルルム・ガルリクム)は、紀元前58年から紀元前51年にかけて、共和政ローマのガリア地区総督ガイウス・ユリウス・カエサルガリア(現:フランスベルギースイス等)に遠征してその全域を征服し、共和政ローマの属州とした一連の戦争を指す。


  1. ^ カエサル『ガリア戦記』1.31
  2. ^ カエサル『ガリア戦記』2.6
  3. ^ カエサル『ガリア戦記』2.6。ガリア戦記には「ネルウィ族はほぼ壊滅状態となった」と記載があるが、実際にはその後もネルウィ族は勢力を保っている。
  4. ^ プルタルコス「英雄伝」ポンペイウス51
  5. ^ プルタルコス「英雄伝」クラッスス15
  6. ^ 笞刑を加えて死に至らしめ、その後斬首するという方法であった
  7. ^ カエサル「ガリア戦記」7.28
  8. ^ カエサル「ガリア戦記」7.67


「ガリア戦争」の続きの解説一覧

ガリア戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 09:51 UTC 版)

ティトゥス・ラビエヌス」の記事における「ガリア戦争」の解説

「ガリア戦争」も参照 紀元前58年より始まったガリア戦争での最初戦いとなったヘルウェティイ族との戦闘において、カエサル自著ガリア戦記中に名前を言及した唯一のレガトゥスラビエヌスであり、カエサル当初よりラビエヌス高く評価していたことが窺える実際にラビエヌス数多く戦争経験重ねた熟練騎兵指揮官であり、カエサルが己の手柄とした多くラビエヌス補佐よるものであったまた、他のカエサル配下レガトゥス比べて軍功キャリア共に豊富であったことから、カエサル軍の筆頭副司令官格であり、カエサルゲルマニアブリタンニアへの遠征ガリア離れた際は、ガリア属州全体統治別部と共にラビエヌス一任した。また、ラビエヌスカエサル不在ガリア無難に治めた紀元前57年ネルウィイ族Nervii)及びアトレバテス族(Atrebates)らとのサビス川の戦いでは、ラビエヌス第9軍団及び第10軍団指揮してアトレバテス族を撃破したベルガエ人本陣占拠した後、苦戦していたカエサル自ら指揮を取る第7軍団及び第12軍団(en)に加勢するべく、ネルウィ族後背攻撃するよう第10軍団指示出しローマ軍勝利貢献した紀元前54年のインドゥティオマルス(Indutiomarus)が率いたトレウェリ族との戦いでは、インドゥティオマルスがローマ軍に対して威嚇及び挑発行為を行うことでラビエヌス悩ませたものの、ラビエヌス作戦によって少しの間、待機する戦術をとった。トレウェリ族及びインドゥティオマルスがローマ軍攻撃しないものと隙を見せた時期見計らってラビエヌス配下騎兵にトレウェリ族の陣を急襲させた。ラビエヌスはインドゥティオマルスを真っ先殺害するように指示与えローマ軍はインドゥティオマルスを討ち取り族長失ったトレウェリ族は壊走した。 トレウェリ族はインドゥティオマルスの親族新たな首領として再編成しスエビ族らのゲルマニア人から援軍待ってローマ攻撃する姿勢示した。それに対してラビエヌス撤退するよう見せかけたことから、トレウェリ族は後背よりローマ軍迫ったところを仕掛けておいた伏兵及び急反転した自軍によって反撃し、トレウェリ族に再び勝利を収めたゲルマニア人援軍控えざるを得ずゲルマニア人ガリア侵攻防いだ格好となったこの年アドゥアトゥカの戦いローマ軍大打撃受けており、ローマ軍崩壊を防ぐ勝利ともなった紀元前52年ルテティア(現:パリ)におけるパリシイ族との戦いで勝利ラビエヌス戦術秀逸振り見せ良い例となった。ゲルゴウィアへ向かったカエサル軍と別れてパリシイ族抑えるべく派遣されラビエヌスは、コホルス歩兵大隊)5個大隊をアゲディンクム(Agedincum、現:サンス)に残した上で、自らは3個軍団率いてセクアナ川を越えてルテティア向かったローマ軍は川の3つの所を渡ったが、軍隊分割して川を横断しているものとガリア側に思い込ませ、ガリア軍はこれを追跡したが、ラビエヌスは軍を再び1つ戻して迫ってきたガリア軍を包囲して、これを殲滅した。 ルテティアでの勝利の後にラビエヌスカエサル本軍合流アレシアの戦いにも参加しアレシア包囲網で最もガリア側の攻撃激しかった北西包囲線の防衛果たしローマ軍勝利貢献した紀元前51年最後まで抵抗していたトレウェリ族の地に派遣されローマ抵抗する勢力打ち破った同年9月カエサルラビエヌスガリア・キサルピナ属州統治委任した

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ガリア戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 08:33 UTC 版)

プブリウス・リキニウス・クラッスス」の記事における「ガリア戦争」の解説

紀元前58年からのガリア属州総督で父の同盟者ガイウス・ユリウス・カエサルの元でガリア戦争に従軍アリオウィストゥス率いゲルマン人戦ったウォセグスの戦い騎兵隊長として重要な働きをした。 紀元前57年からは、総督副官レガトゥス)としてローマ軍団指揮したこの年派遣され大西洋沿岸地域(アレモリカ)のガリア人諸部族帰服させた。紀元前56年のアレモリカ諸部族反乱に際しては、ガリア南西部アクィタニアローマ軍1個軍団率いてアクィタニア人がアレモリカ諸部族との連携阻止してデキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌスによるアレモリカ諸部族反乱平定間接的ながら貢献した。 なお、プブリウスが父のパルティア遠征従軍するためにガリア離れた後も、プブリウスの兄弟であったマルクスクァエストル財務官)としてガリア残り、『ガリア戦記』によると、紀元前54年ルキウス・ムナティウス・プランクスガイウス・トレボニウスと共に3個軍団率いてベルガエ人領地赴任した同年アンビオリクスによってクィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス及びルキウス・アウルンクレイウス・コッタ率いローマ軍団壊滅したアドゥアトゥカの戦い)後、アンビオリクス呼応したネルウィ族の軍に陣営攻撃されていたクィントゥス・トゥッリウス・キケロ救援カエサル自身が向かうのに際して重要な後方兵站拠点であったサマロブリウァ(Samarobriva, 現:アミアン)の守備任じられた。

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ガリア戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 16:20 UTC 版)

ガイウス・ユリウス・カエサル」の記事における「ガリア戦争」の解説

詳細は「ガリア戦争」を参照 紀元前58年コンスル任期終えたカエサル前執政官プロコンスル)の資格以てガリア・キサルピナ及びガリア・トランサルピナ等の属州総督就任したヘルウェティイ族ローマ属州通過したい旨の要求拒否したことを皮切りにガリア人とのガリア戦争へ踏み出すこととなったヘルウェティイ族抑えた後、ガリア人依頼受けてゲルマニア人アリオウィストゥスとの戦いに勝ち、翌年にはガリア北東部に住むベルガエ人諸部族制圧したその間紀元前56年にはルッカポンペイウスクラッスス会談行い紀元前55年ポンペイウスクラッスス執政官に選出され、カエサルガリア総督として任期5年延長されることが決定したまた、同年ゲルマニア侵攻しゲルマニア人ガリア進出退けライン川防衛線の端緒築いた紀元前55年及び54年2度わたってブリタンニア遠征実施した最大戦い紀元前52年アルウェルニ族族長ウェルキンゲトリクスとの戦いであり、この時はほとんどのガリア部族敵対したが、カエサルアレシアの戦いでこれを下した。これらの遠征により、カエサルガリア全土ローマ属州とした。カエサルはガリア戦争の一連の経緯を『ガリア戦記』として著したカエサルはこの戦争ガリア人から多数勝利を得、ローマで名声大い高めた。彼は「新兵新軍団を構成し既設軍団には新兵補充しない」という方針を採ったため、長期間遠征従事した軍団兵数定員割っていたが、代わりに統率取れた精強部隊になった軍団兵には、ローマではなくカエサル個人対し忠誠心を抱く者も多かったといわれる。これらのガリア征服通して蓄えられ実力は、カエサル内戦引き起こす際の後ろ盾となったのみならずローマ元老院派カエサル対す警戒心をより強くさせ、元老院派側から内乱誘発させかねない強硬策を取らせることとなった

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ガリア戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/04/29 14:38 UTC 版)

セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)」の記事における「ガリア戦争」の解説

紀元前58年からのガリア戦争においては属州総督ガイウス・ユリウス・カエサル総督副官レガトゥス)を任され軍団長レガトゥス・レギオニス)として第12軍団(Legio XII Fulminata)を指揮した紀元前57年には、アルプス山脈登山道開通させるために第12軍とともに派遣されレマン湖東方のナントゥアテス族・ウェラグリ族・セドゥニ族などのガリア人諸部族領土制圧し冬営した。ガルバ数日間谷底のオクトドゥルス冬営していたところ、反旗を翻したウェラグリ族とセドゥニ族に包囲攻撃されて窮地陥ったが、何とか撃退した(オクトドゥルスの戦い)。ガルバ目的達することができずに、西方のアッロブロゲス族の領土まで撤退した

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