第三次マケドニア戦争とは? わかりやすく解説

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第三次マケドニア戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/18 04:22 UTC 版)

第三次マケドニア戦争(だいさんじマケドニアせんそう、イタリア語:Terza guerra macedonica)は、共和政ローママケドニア王国アンティゴノス朝)の間で争われたマケドニア戦争の3度目にあたる戦争であり、紀元前171年から紀元前168年まで行われた。最終決戦となったピュドナの戦い (紀元前168年)でローマ軍はマケドニア軍に大勝して、アンティゴノス朝は断絶した。また、共和政ローマによるヘレニズム諸国征服の端緒となった。


  1. ^ プルタルコス『英雄伝』アエミリウス・パウルス9
  2. ^ プルタルコス『英雄伝』アエミリウス・パウルス9
  3. ^ プルタルコス『英雄伝』アエミリウス・パウルス15
  4. ^ プルタルコス『英雄伝』アエミリウス・パウルス16
  5. ^ プルタルコス『英雄伝』アエミリウス・パウルス17
  6. ^ プルタルコス『英雄伝』アエミリウス・パウルス22
  7. ^ プルタルコス『英雄伝』アエミリウス・パウルス18
  8. ^ プルタルコス『英雄伝』アエミリウス・パウルス20
  9. ^ プルタルコス『英雄伝』アエミリウス・パウルス22
  10. ^ プルタルコス『英雄伝』アエミリウス・パウルス34
  11. ^ プルタルコス『英雄伝』アエミリウス・パウルス37
  12. ^ プルタルコス『英雄伝』アエミリウス・パウルス29


「第三次マケドニア戦争」の続きの解説一覧

第三次マケドニア戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/08 01:23 UTC 版)

クィントゥス・マルキウス・ピリップス (紀元前186年の執政官)」の記事における「第三次マケドニア戦争」の解説

マケドニアとの新しい戦争避けられないものとなったが、まだ開戦する前の紀元前172年ピリップスは再び外交使節の長としてバルカン半島赴いた同行した他の使節アウルス・アティリウス・セッラヌス、プブリウス・コルネリウス・レントゥルス、セルウィウス・コルネリウス・レントゥルス、およびルキウス・デキミウスであった。彼らは千人からなる分遣隊とともにケファロニア島渡り、そこで二手別れた。ピリップスとセッラヌスはエペイロスアエトリアテッサリア巡り戦争となったローマ味方するように説得したペーネイオス川川岸で、大使達マケドニア王ペルセウス会談持ったペルセウスはピリップスとの個人的な関係を頼りにしており、再度友人関係を構築しようとした。ピリップスはペルセウス和平可能性があると欺きローマ使者送って交渉続けるよう説得することにより時間稼いだリウィウスには「事実ローマ人その時点で戦争の準備ができていなかった。軍隊編成されておらず、指揮官任命されていなかった。一方ペルセウスがは全ての準備完了し、完全に装備されていた軍隊持っていた。ペルセウス和平希望に目がくらんでいなければ、最高の時に戦争開始でき、ローマにとっては最悪の状態になっていただろう」と記している。 続いてピリップスとセッラヌスはボイオーティア向かいボイオーティア同盟解散して都市ローマ保護下に入るように説得した。さらにエウボイア島ペロポネソス半島の諸都市訪ねた。冬が始まると、彼らはローマ戻った何人かの元老院議員は、彼らのギリシアでの交渉には価値がないと非難したが、多くは彼らの活動全て承認した。ピリップスは再びギリシアに渡ることになるが、今度は軍を率いてであった。ピリップスは二つ都市強襲し続いてハルキスローマ海軍合流したローマ長期間不在にしていたにも関わらず、ピリップスは169年に再び執政官選ばれた。同僚パトリキ執政官はグナエウス・セルウィリウス・カエピオであった抽選結果、ピリップスはマケドニアとの戦争担当することになったが、現地の状況はあまり良くなかった。軍の指揮プロコンスル前執政官プブリウス・リキニウス・クラッスス執政官アウルス・ホスティリウス・マンキヌス持っていたが両者ともに敗北し、軍には脱走者多数出ていた。 二度目の執政官就任したピリップスは、5000人の兵士率いてブルンディシウム現在のブリンディジ)からアカルナニアへと渡ったローマ艦隊司令官親戚(おそらくいとこ)のガイウス・マルキウス・フィグルスであったテッサリアのパレファルサルの近くで、ピリップスはマンキヌスの軍隊引き継ぎマケドニアへと向かった山中行軍していると、敵が攻撃してきた。その後の戦いも、明らかにマケドニアが有利であったシケリアのディオドロスは、「岩と渓谷挟まれた敵の全軍殲滅するには、角笛鳴らして信号を送るだけでよかった」と記しているが、ペルセウス戦い激化することはしなかった。ピリップスはすでに高齢で非常に太っていたが、全ての軍事的な仕事こなした。ピリップスは軍を率いて山を越えマケドニア平地降りていった。ペルセウスは、ローマ人このような大胆な一歩を踏み出すとは思っていなかったのでパニック起こし慌てて艦隊燃やし国庫を海に沈めるように命じた。しかし、ピリップスは供給が困難であったために、それ以上進撃はせずテッサリア国境から動かなかった。 南マケドニア滞在するピリップスの元にアカイア同盟使節送ってきた。その中には後の歴史ポリュビオス含まれていた。アカイア同盟ローマへ軍事援助申し出たが、ピリップスは「ローマ同盟を必要としない」とこれを断ったまた、別の軍司令官であるアッピウス・クラウディウス・ケントに援軍を送ることも禁止した。ピリップスはテッサリア国境冬営し、紀元前168年初めに新たな執政官であるルキウス・アエミリウス・パウッルスに軍を引き渡した。このパウッルスがペルセウス捕虜にして戦争勝利し、マケドニクスを名乗ることとなる。

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第三次マケドニア戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 09:15 UTC 版)

ルキウス・アエミリウス・パウルス・マケドニクス」の記事における「第三次マケドニア戦争」の解説

紀元前168年再度コンスル選ばれ、第三次マケドニア戦争でアンティゴノス朝ペルセウスに対して戦いピュドナの戦い (紀元前168年))、ペルセウス捕虜とする。これによりマケドニア戦争終結アンティゴノス朝滅亡したこの際マケドニア内の対抗勢力 500 人を虐殺多数ローマ強制連行財産ローマの名のもとに没収したペルセウスとの戦いで脱走した外国人兵を、スキピオ・アフリカヌス同じよう見せしめとして象に踏み潰させたという逸話残っている。偽装退却行った相手乗って来なかったため、敵のファランクス対し騎兵に盾を持たせて前面横断させ、通りすがりに敵のサリッサ折って戦意挫いたという。この戦いにはマシニッサの子ミサゲネスも参加しており、戦後祖国へ帰る途中嵐に見舞われ生死の境さまよったが、元老院彼の介抱全力尽くし配下騎兵にも補償したという話が伝わっている。

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