アオウスの戦いとは? わかりやすく解説

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アオウスの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/16 05:00 UTC 版)

アオウスの戦い
戦争第二次マケドニア戦争
年月日紀元前198年6月
場所:アオウス川(現在のアルバニアテペレーネ近く)
結果:ローマの勝利
交戦勢力
共和政ローマ アンティゴノス朝マケドニア
指導者・指揮官
ティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌス ピリッポス5世
損害
2,000
マケドニア戦争

アオウスの戦い(アオウスのたたかい)は、第二次マケドニア戦争中の紀元前198年 に発生した、共和政ローマアンティゴノス朝マケドニアの戦闘である。戦闘は現在のアルバニアのテペレーネ(en)とケルキレ(en)の間で行われた[1]。ローマ軍の指揮官は執政官ティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌスであり、マケドニア軍はピリッポス5世が率いた。戦いはフラミニヌスが勝利し、両者は翌年に再びキュノスケファライで戦うこととなる。

経緯

ピリッポス5世はアオウス川沿いの渓谷に強力な拠点を築き、マケドニアへの進路を塞いでいた。しかし、ローマ軍は現地で案内人を雇い、4,300人の軍団兵が背後に回ることに成功した。狭い渓谷で挟み撃ちにされることを恐れたピリッポス5世は脱出を試みるが、2,000名の兵士と全ての物資を失った。これでローマはテッサリアに侵攻することができた。勝利したフラミヌスであるが、自身にインペリウム(軍事指揮権)が翌年も与えられるか不明であったために、ピリッポスとの講和交渉を開始する。

脚注

  1. ^ Firth, page 195-

参考資料

座標: 北緯40度38分34秒 東経19度19分2秒 / 北緯40.64278度 東経19.31722度 / 40.64278; 19.31722




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