ポリュビオスとの出会いとは? わかりやすく解説

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ポリュビオスとの出会い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 09:46 UTC 版)

スキピオ・アエミリアヌス」の記事における「ポリュビオスとの出会い」の解説

紀元前168年には実父アエミリウス指揮する第三次マケドニア戦争従軍しピュドナの戦い参加している。追撃部隊加わった小スキピオ行方不明となって全軍落胆したが、返り血血まみれになって戻ってきたという逸話残っている。実父によってアンティゴノス朝滅ぼされアカイア同盟指導層1000名がローマ連行されたが、この中騎兵隊であったポリュビオス含まれていた。彼はアエミリウス知己として彼の家に滞在しストア派パナイティオスと共に小スキピオとその兄の家庭教師務め、特に小スキピオとの友情を育んだ。 二人友情本の貸し借りから始まったポリュビオス記している。あるとき、ポリュビオス二人きりになった小スキピオは、兄とばかり話すポリュビオスに不満を漏らし、「自分は他の若者のように法廷に関わらないから周りから大人しい思われている、それが辛い」と打ち明けたポリュビオス年長の兄を立てているだけだと諭すと、まだ未成年だった彼の気概賞賛し、力になることを約束したという。 紀元前160年実父アエミリウス亡くなると、あまりにも貧しく亡くなったため、不動産一部処分することになったという。紀元前151年アカイア同盟から連行され人々帰還がやっと認められたが、その頃にはその多く亡くなっていた。ポリュビオス解放されたが、小スキピオと兄がプラエトル法務官)に願い出てローマ滞在認められた。

※この「ポリュビオスとの出会い」の解説は、「スキピオ・アエミリアヌス」の解説の一部です。
「ポリュビオスとの出会い」を含む「スキピオ・アエミリアヌス」の記事については、「スキピオ・アエミリアヌス」の概要を参照ください。

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