ポリュビオスの航海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 09:46 UTC 版)
「スキピオ・アエミリアヌス」の記事における「ポリュビオスの航海」の解説
また恐らくカルタゴを滅ぼした直後、スキピオは同行していたポリュビオスに艦隊を与えてカルタゴ以西に向かわせている。カルタゴとローマは過去4度の条約を締結していたが、アフリカ大陸についての情報は得られず、カルタゴ領の調査のためと思われるが、大プリニウスはポリュビオスの個人的好奇心による発案とし、アカイア同盟の指導者でありながらローマに従う彼の気晴らしが動機であったとする学者もいる。この航海は、学者の意見はドラア川までとセネガル川までとするものに分かれているが、カルタゴの小規模な交易基地があるだけで、注意すべき取引は金だけであり、それもローマ側には察知されなかったと思われ、恐らくポリュビオスはなんの脅威も見つからなかったことを報告した後、146年の執政官ルキウス・ムンミウスがコリントスを破壊するところを目撃している(コリントスの戦い)。
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