第三次マラーター戦争とマラーター同盟の滅亡
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「バージー・ラーオ2世」の記事における「第三次マラーター戦争とマラーター同盟の滅亡」の解説
こうして、バージー・ラーオ2世はイギリスとの戦争を決意し、同年11月5日にプネー近郊カドキーのイギリス駐在官邸を将軍バープー・ゴーカレーに襲わせた(カドキーの戦い)。ここに第三次マラーター戦争が始まった。 この戦争にはシンディア家、ホールカル家、ボーンスレー家なども参加したが、イギリスによって短期間のうちに制圧され、それぞれ翌年初頭までに講和条約を結んで降伏した。 1818年1月、バージー・ラーオ2世はコーレーガーオンでイギリスに敗北したのち(コーレーガーオンの戦い)、その勢力が減退し、2月にはバープー・ゴーカレーが戦死した。それでも、彼は不利ながらもイギリスと戦い続けた。 しかし、同年6月3日にバージー・ラーオ2世もイギリスに降伏し、第三次マラーター戦争は終結した。これにより、マラーター同盟は崩壊し、宰相の政権は取り潰され、その領土は没収された。
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