第三次マハティール政権 1986-1990
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 16:55 UTC 版)
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1986年7月に実施された総選挙において、国民戦線は、憲法改正問題、UMNOの内部対立、これに加えて、1984年以降のマレーシア経済は不況の真っ只中であり、マハティール政権にとって不利な情勢であったが、8月には、第三次マハティール政権が発足する。マハティールは内務相を兼任する。アンワルが教育相に就任し、実質的にもマハティールの後継者としての地盤を固めていったと目されていった。 1987年、マハティールとムサ・ヒタムの対立が明確となった。に対して、4月10日、マハティールはムサ・ヒタムへの批判を展開し、そのまま4月22日のUMNO役員選挙に突入した。UMNO役員選挙において、マハティール総裁-ガファール・ババ副総裁が僅差ながら勝利を収めた。この対立は翌年のムサ・ヒタム、ラザレイ・ハムザといった反マハティール派の46年精神党結党につながった。 1989年、心臓バイパス手術を受けた後、4月には公務に復帰。5月半ばからはアメリカ合衆国、イギリスを訪問するなど、精力的な活動を続けた。
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