プブリウス・クロディウス・プルケル
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プブリウス・クロディウス・プルケル(ラテン語: Publius Clodius Pulcher, 紀元前92年 - 紀元前52年1月18日)は、共和政ローマ末期の政治家。紀元前58年に護民官を務めた。従来政敵であったキケロ側からの評価が先行し、三頭政治の奇っ怪な操り人形としての描写に留まっていたが、ローマという都市に住む民衆(plebs urbana)の代表としての動きが近年再評価の対象となっている[1]。
- 1 プブリウス・クロディウス・プルケルとは
- 2 プブリウス・クロディウス・プルケルの概要
- 3 参考文献
固有名詞の分類
共和政ローマの人物 | テウタ グナエウス・コルネリウス・スキピオ・カルウス プブリウス・クロディウス・プルケル ルキウス・クィンクティウス・キンキナトゥス マルクス・ファビウス・ブテオ |
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