プブリウス・クラウディウス・プルケル (紀元前184年の執政官)とは? わかりやすく解説

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プブリウス・クラウディウス・プルケル (紀元前184年の執政官)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/25 15:39 UTC 版)


プブリウス・クラウディウス・プルケル
P. Claudius Ap. f. P. n. Pulcher[1]
出生 不詳
死没 不詳
出身階級 パトリキ
一族 プルケル
氏族 クラウディウス氏族
官職 アエディリス・クルリス紀元前189年
プラエトル(タレントゥム)紀元前187年?)
カレス植民委員紀元前185年
コンスル(リグリア)紀元前184年
グラウィスカエ植民三人委員紀元前181年
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プブリウス・クラウディウス・プルケルラテン語: Publius Claudius Pulcher)は、共和政ローマ政務官紀元前184年コンスル(執政官)を務めた。父はアッピウス・クラウディウス・プルケル、兄弟には父と同名のアッピウス・クラウディウス・プルケルがいる。

経歴

紀元前189年アエディリス・クルリス(上級按察官)を務めた[2]ティトゥス・リウィウスによれば、穀物業者に課した罰金で金の盾を作り、カピトリヌスに飾ったという[3]

紀元前187年タレントゥム担当プラエトルを務めた[4]。リウィウスは、紀元前188年のプラエトルをプブリウスだとするが、おそらく兄弟のアッピウスのことである[5]

紀元前185年、カレス市に移民を追加する事業を手がけた[6]。リウィウスによると、この年、コンスル選挙に立候補したが、コンスルを務めていた兄弟のアッピウスが早めに帰国し、反対派の声をものともせず強力にサポートしたという[7]。対立候補はルキウス・アエミリウス・パウッルス・マケドニクスクィントゥス・ファビウス・ラベオ、そして前187年のプラエトルの一人、セルウィウス・スルピキウス・ガルバで、彼らは一度以上落選したことがあり、ラベオが一番人気であったが、プブリウスは最初のこの選挙で当選することができた[8]

紀元前184年ルキウス・ポルキウス・リキヌスと共にコンスルを務め、2人でリグリアを担当した[1]

紀元前181年ガイウス・カルプルニウス・ピソ (紀元前180年の執政官)らと共に、グラウィスカエに植民する三人委員の一人に選ばれている[9]エトルリア地方沿岸部)。

家族

出典

  1. ^ a b MRR1, p. 374.
  2. ^ MRR1, p. 361.
  3. ^ リウィウス『ローマ建国史』38.35.5
  4. ^ MRR1, p. 368.
  5. ^ MRR1, p. 367.
  6. ^ MRR1, p. 373.
  7. ^ リウィウス『ローマ建国史』39.32
  8. ^ Evans, p. 115.
  9. ^ MRR1, p. 386.

参考文献

  • T. R. S. Broughton (1951). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1. American Philological Association 
  • Richard J. Evans (1991). “CANDIDATES AND COMPETITION IN CONSULAR ELECTIONS AT ROME BETWEEN 218 AND 49 BC”. Acta Classica (Classical Association of South Africa) 34: 111-136. JSTOR 24591936. 
公職
先代
アッピウス・クラウディウス・プルケル
マルクス・センプロニウス・トゥディタヌス
執政官
同僚:ルキウス・ポルキウス・リキヌス
紀元前184年
次代
クィントゥス・ファビウス・ラベオ
マルクス・クラウディウス・マルケッルス



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