マルクス・センプロニウス・トゥディタヌス (紀元前185年の執政官)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/07 07:55 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動マルクス・センプロニウス・トゥディタヌス M. Sempronius M. f. C. n. Tuditanus | |
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出生 | 不明 |
死没 | 紀元前174年 |
出身階級 | プレブス |
氏族 | センプロニウス氏族 |
官職 |
護民官(紀元前193年) 法務官(紀元前189年) 執政官(紀元前185年) |
指揮した戦争 | ローマ・ガリア戦争 |
マルクス・センプロニウス・トゥディタヌス(Marcus Sempronius Tuditanus、- 紀元前174年)は、紀元前2世紀初頭の、共和政ローマの政治家・軍人。紀元前185年に執政官(コンスル)を務めた。
出自
トゥディタヌスはプレブス(平民)であるセンプロニウス氏族の出身である。センプロニウス氏族にはパトリキ系もあるが、紀元前4世紀末以降はプレブス系が有力氏族として台頭してくる。紀元前304年にプブリウス・センプロニウス・ソプスが執政官に就任するが、これがプレブス系センプロニウス氏族が歴史に登場する最初の例である[1]。カピトリヌスのファスティによれば、トゥディタヌスの父のプラエノーメン(第一名、個人名)はマルクス、祖父はガイウスである[2]。紀元前240年の執政官マルクス・センプロニウス・トゥディタヌスの父もガイウスであるが、トゥディタヌスとは年齢が離れすぎている。おそらくは大叔父にあたると思われる。父マルクスは紀元前210年にスキピオ・アフリカヌスの下でトリブヌス・ミリトゥム(高級幕僚)を務めた人物の可能性がある[3][4]。この場合、トゥディタヌスは紀元前204年の執政官プブリウス・センプロニウス・トゥディタヌスの甥であろう[5]。
経歴
トゥディタヌスが最初に資料に登場するのは紀元前193年で、この年に護民官に就任している[3][6]。この権限をもって、トゥディタヌスは借金に関してローマ市民とラティウム同盟都市市民を平等に扱う法律(センプロニウス法)を制定した。この法律のおかげで、債務危機に対処することができた[7]。紀元前189年には、プラエトルに就任し、シキリア属州を支配した[8]。翌年にローマに戻っている[3]。
紀元前185年、トゥディタヌスは執政官に就任した。同僚のパトリキ執政官はアッピウス・クラウディウス・プルケルであった[9]。両執政官共にリグリアを担当した。プルケルがリグリアの部族と戦っている間に、トゥディタヌスはアプアン族を攻撃した。ピサの側から進軍し、アペニン山脈の麓を掃討し、敵を山中に追い払い、完全な勝利を収めた[10]。
紀元前184年、トゥディタヌスはローマ最高の名誉職と言えるケンソル(監察官)選挙に立候補した。選挙前から激しい争いが繰り広げられ、結局4人のプレブスを含む9人が出馬した。プレブス候補はトゥディタヌス、マルクス・フルウィウス・ノビリオル、 マルクス・ポルキウス・カト(大カト)、ティベリウス・センプロニウス・ロングスであった。カトは前年にスキピオ兄弟に対する訴訟に勝利して名声を得ており、カトとパトリキ候補のルキウス・ウァレリウス・フラックスのコンビが前評判が高かった。他の候補者たちも共闘したが、結局カトとフラックスが当選した[11]。
紀元前183年、トゥディタヌスは死去したプブリウス・リキニウス・クラッスス・ディウェスに代わって神祇官(ポンティフェクス)に就任した[12]。紀元前174年、ローマにペストが流行したが、トゥディタヌスもこの疫病に罹って死亡した[13]。
脚注
- ^ Sempronius, 1923 , s. 1360.
- ^ カピトリヌスのファスティ
- ^ a b c Sempronius 95, 1923, s. 1443.
- ^ Sempronius 94, 1923 , s. 1443.
- ^ Sempronii Tuditani, 1923 , s. 1440.
- ^ Broughton, 1951 , p. 348.
- ^ リウィウス『ローマ建国史』、XXXV, 7, 2-5.
- ^ Broughton, 1951 , p. 361.
- ^ Broughton, 1951 , p. 372.
- ^ リウィウス『ローマ建国史』、XXXIX, 32, 2—3.
- ^ Kvashnin, 2004 , p. 86-89.
- ^ Broughton, 1951 , p. 381.
- ^ リウィウス『ローマ建国史』、XLI, 21, 8.
参考資料
古代の資料
- ティトゥス・リウィウス『ローマ建国史』
- カピトリヌスのファスティ
研究書
- Kvashnin V. State and legal activity of Mark Portia Cato the Elder . - Vologda: Russia, 2004 .-- 132 p.
- Broughton R. Magistrates of the Roman Republic. - New York, 1951. - Vol. I. - P. 600.
- Münzer F. Sempronii Tuditani // Paulys Realencyclopädie der classischen Altertumswissenschaft . - 1923 .-- T. II, 2 . - S. 1440 .
- Münzer F. Sempronius // Paulys Realencyclopädie der classischen Altertumswissenschaft . - 1923 .-- T. II, 2 . - S. 1359-1360 .
- Münzer F. Sempronius 94 // Paulys Realencyclopädie der classischen Altertumswissenschaft . - 1923 .-- T. II, 2 . - S. 1443 .
- Münzer F. Sempronius 95 // Paulys Realencyclopädie der classischen Altertumswissenschaft . - 1923 .-- T. II, 2 . - S. 1443 .
関連項目
公職 | ||
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先代: スプリウス・ポストゥミウス・アルビヌス クィントゥス・マルキウス・ピリップス |
執政官 同僚:アッピウス・クラウディウス・プルケル (紀元前185年の執政官) 紀元前185年 |
次代: プブリウス・クラウディウス・プルケル ルキウス・ポルキウス・リキヌス |
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