古代ローマの「ルビコン川」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/06 21:56 UTC 版)
「ルビコン川」の記事における「古代ローマの「ルビコン川」」の解説
共和政末期の古代ローマにおいては、ルビコン川とアルノ川を結ぶラインがイタリア本土の北限、属州ガリア・キサルピナとの境界線の役割を果たしていた。軍団を率いてこの川を越え南下することは法により禁じられており、禁を破ればすなわち共和国に対する反逆とみなされた。 一般にルビコン川の名前は、紀元前49年1月10日、ローマ内戦においてユリウス・カエサルが元老院の命令に背き、軍を率いてこの川を渡った故事によって知られる。この際に「賽は投げられた」(alea iacta est, アーレア・ヤクタ・エスト)と部隊に檄を飛ばしたことはあまりにも有名である。「ルビコン川を渡る」(英: cross the Rubicon)という言葉は、その後の運命を決め後戻りのできないような重大な決断・行動をする比喩として使われている。
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