古代ローマにおける「枢軸時代」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:32 UTC 版)
「枢軸時代」の記事における「古代ローマにおける「枢軸時代」」の解説
古代ローマでは、周辺地域の神々を取り込んだ多神教が信じられていた。 ヤスパース自身は王政ローマについては言及していないが、彼が引用したラソー『歴史哲学新論』には、紀元前6世紀前後、ほぼ同時期に現れた「民族宗教の改革者」としてゾロアスター、ブッダ、孔子、ユダヤの預言者、ギリシャの初期哲学者と並んで、古代ローマのヌマ王 (在位BC715年–BC673年)の名を掲げている。ローマ暦の改定や宗教上の諸改革を行い、神官にかかわる法令を定めた王として知られ、ローマ神話の骨格や主な神の名が決まったのもヌマ王の時代とされている。その祖先はラテン系もしくはサビニ系といわれるが、その後、エトルリア人の王が君臨し、紀元前509年にタルクィニウス・スペルブス(エトルリア人の王)が追放されたのちは共和政ローマが始まった。
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