古代ローマとゾウ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 08:19 UTC 版)
古代地中海世界では戦象としてゾウを軍用に使役していた。古代ローマ人が初めてゾウと遭遇したのはピュロスのイタリア半島侵入の際で、ヘレニズム世界で使用されていた戦術をピュロスがそのまま持ち込んだものであった。このときローマ軍が戦象と戦った場所ルカニアからローマではゾウはルカニアの牛と呼ばれた。こうしたピュロスのエピソード以上に第二次ポエニ戦争の際、カルタゴの将軍ハンニバルがその傭兵部隊に加えて39頭の象を引き連れ、イタリア半島に侵攻したことはよく知られている。アルプス山中で受けた妨害と寒さや餓えのため、イタリアの平野部に到達した象は元の半数以下だったが、それもトレビア川の戦いでインドゾウの一頭を残してことごとく倒れた(最後のゾウ以外はアフリカゾウ(マルミミゾウ)であった)。 ゾウはローマにおいては一般的なものではなく、そのためローマ帝国期においてはときおりゾウがローマ市まで連れてこられ、パンとサーカスの一環として見世物に供された。80年にローマ市中心部において完成したコロッセウムにおいても、ゾウが皇帝に挨拶をしたりダンスを踊った記録が残されている。また、ゾウとほかの猛獣とを戦わせる見世物も行われた。
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