古代地中海世界
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「アルジェリアの歴史」の記事における「古代地中海世界」の解説
その後、マグリブに馬がもたらされ、ベルベル人が居住するようになった。紀元前814年に現在のレバノンから到来したフェニキア人がカルタゴを建設したことをきっかけに、フェニキア人は地中海沿岸部に植民都市を建設した。紀元前5世紀になると沿岸部はカルタゴの支配地域となり、ヌミディアと呼ばれるようになった。内陸部のベルベル人は独自に王権の確立を進め、紀元前264年にカルタゴとローマとの間でポエニ戦争が勃発すると、ローマと結んだマシニッサがベルベル人諸王国を統一し、ヌミディア王国を建国した。ヌミディア王国はローマに味方し現リビアのキレナイカにまで勢力を伸ばした。第三次ポエニ戦争によって紀元前146年にカルタゴが滅亡した後、小スキピオの推薦を得てヌミディアの王位に就いたユグルタは、ローマ市民を殺害したことをきっかけにローマと敵対し、紀元前112年にはヌミディアとローマ都の間でユグルタ戦争が勃発した。ユグルタ戦争は紀元前104年に、ユグルタの処刑を以て終結した。ローマが内乱の一世紀に入ると、ヌミディアはオプティマテス(閥族派)に与したため、ローマ内戦でヌミディア王ユバ1世はローマの将軍ユリウス・カエサルと戦ったが、敗れて現在のアルジェリアの東部に相当するヌミディアはローマの属州アフリカの一部となった。ヌミディアが属州となった後も、ローマはヌミディア王家のユバ2世(英語版)をマウレタニア属王位に就け、統治させたが、40年にマウレタニア王ユバ2世の子プトレミー(英語版)が皇帝カリグラによって暗殺されたため、現在のアルジェリアの西部とモロッコに相当するマウレタニアもローマの属州となった。 ローマ帝国の支配下で属州アフリカは「穀倉庫」となった。アフリカ、マウレタニアでもローマ都市の建設やローマ兵の入植が行われ、ローマ化が進んだ。属州アフリカは2世紀後半に、皇帝セプティミウス・セウェルスによって属州ヌミディアに再編された。396年にローマ帝国が東西分裂すると、ヌミディアは西ローマ帝国の統治下に置かれた。430年にはガイセリック大王率いるゲルマン系ヴァンダル人が進出、カルタゴにヴァンダル王国が建国され、アルジェリアの地中海沿岸部もヴァンダルの支配を受けた。ヴァンダル王国は地中海の制海権を握り、海上貿易で繁栄したが、ゲリメリ王時代の534年にユスティニアヌス1世の統治する東ローマ帝国に滅ぼされ、アルジェリアも東ローマ帝国の版図に組み入れられた。 文化面ではローマ化が進んだことにより、アフリカでもラテン語知識人が活躍した。現存する唯一のローマ小説である『黄金のろば』を著したアプレイウスはマダウロスの出身だった。ローマ帝国の末期にはキリスト教が伝来し、アルジェリアでは「キリスト教最大の教父」と呼ばれるヒッポのアウグスティヌスが生まれ、『告白』や『神の国』といった後のキリスト教世界に多大な影響を与えた著作を残した。
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