古代哲学書
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アスパシアに関する記述はプラトンやクセノポン、アイスキネス・ソクラティクス、アンティステネスなどの著した哲学書に見られる。プラトンはアスパシアの知性と機知に感激し、『饗宴』の登場人物ディオティマ のモデルにしたとする説も学界に存在するが、ディオティマは実際は歴史上実在した人物の名前であるという説もある。ペンシルバニア大学哲学科教授のチャールズ・カーンによれば、多くの点においてディオティマはプラトンがアイスキネスの『アスパシア』を投影させた人物である。 『メネクセノス』の中でプラトンはアスパシアがペリクレスと関係を持っていることを風刺し アスパシアが多くの雄弁家を育てたことを皮肉っぽく主張する時にソクラテスの生前残した言葉を引用している。ソクラテスはペリクレスの話術における名声に疑問を呼び掛け、それからアスパシアがアテナイのペリクレスを育てたからこそペリクレスはアンティポンが育てた誰よりも修辞に優れていたのだろうと皮肉っぽく伝えることを意図して書いておりペロポネソス戦争の追悼演説もアスパシアが原稿を書いたおかげだと述べて当時その演説の影響でペリクレスが崇拝されていたことも非難している。カーンはまた、プラトンはペリクレスとソクラテスに修辞学を教えた師としてのアスパシアのモチーフをアイスキネスから取ってきたとも述べている。プラトンの『アスパシア』とアリストパネスの『女の平和』は、どちらの作中人物からもアテナイの女性たちの実際の地位読み取ることはできないものの、当時の女性が演説することは許されないという慣習に明らかに反した例外的な作品であり トゥルーマン州立大学歴史科教授のマルサ・L・ローズも説明している通り「犬が訴訟したり鳥が政治を行ったりするのが喜劇の中でしかあり得ないのと同じで、女性が熱弁を振るうなんてことが喜劇以外であったはずがない」のである。 クセノポンは『ソクラテスの思い出(メモラビリア)』『家政論(オイコノミクス)』という2つの著書でアスパシアについて言及している。いずれもアスパシアに助言を求めると良いとソクラテスがクリトブロスに薦める場面がある。『ソクラテスの思い出』では仲人は紹介する男の良さを誠実に伝えるべきだと書くに当たってアスパシアを引き合いに出している 。『家政論』ではソクラテスが夫婦間での家計のやりくりにより詳しいからと、アスパシアの言うことに従う場面がある。 アイスキネス・ソクラティクスとアンティステネスはそれぞれアスパシアの名前からソクラテス対話篇の題名をとった(但し現在はいずれも断片が残っているのみとなっている) 。アイスキネス・ソクラティクスの『アスパシア』について重要な史料として残っている著作の著者はアテナイオス、プルタルコス、そしてキケロである。この対話篇では、カリアスにアスパシアに彼の息子ヒッポニクスを指導してもらうようソクラテスが勧め、カリアスが女性に指導を頼むことに気が引けると感じ躊躇うと、アスパシアはペリクレスの活躍に貢献し、ペリクレスの死後はリシクレスに良い影響を与えた女性だと伝えるという場面がある。対話篇の一部はキケロがラテン語で保管していたのであるが、その保管された部分でアスパシアは「女ソクラテス」として登場し、クセノポンの最初の妻それからクセノポン(ここで取り上げるクセノポンは歴史上有名なクセノポンとは別人である)が自己認識を通して徳を得る為にどうすれば良いか悩んでいたところを相談に乗ったという記述がある。アイスキネスはアスパシアを素晴らしい教育者・指導者と紹介し、ヘタイラとしての彼女の高い地位はその徳の高さ故だと説明している。アイスキネスの『アスパシア』にあるどのエピソードも単なる作り事ではなく、にわかに信じがたい話であるとカーンは言っている。 アンティステネスの『アスパシア』の断片はわずか3つしか残存していない。この対話篇の中にはかなりの中傷的内容も含まれているが、ペリクレスの一生に関連した逸話も収録されている 。アンティステネスはアスパシアのみならずペリクレス一家全員を(息子たちも含めて)非難していたようである。哲学者アンティステネスは偉大な政治家ペリクレスが高徳な生活ではなく快楽に耽る暮らしを選んだと考えて批判している。そのためアスパシアは性的快楽に溺れた暮らしの権化と表現されている。
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