古代史小説
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1970年代後半から、以前より関心のあった古代史を舞台にした歴史小説の執筆を始める。少年時代に百舌鳥古墳群、古市古墳群など古代史の舞台となった場所で遊んで育ち、宇陀中学では当時「わが校は日本発祥の地にある」と強調されており、また飛鳥を中心にして古墳を利用するなどの軍事練習をしていたこと、1972年の高松塚古墳壁画の発見を契機とした古代史ブームに触発されたのがあったのが執筆の動機だった。 1976年に『歴史と人物』編集長に勧められて、壬申の乱での大海人皇子(天武天皇)と大友皇子(弘文天皇)の争いを題材にした『天の川の太陽』を連載する。続いて推古天皇が即位するまでの蘇我馬子と物部守屋の闘争の時代を描く『紅蓮の女王』を『黒岩重吾長編小説全集』月報に連載し、こちらが先に完結して刊行された。その後大化の改新前夜の時代を舞台に蘇我入鹿を主人公にし『落日の皇子』を執筆。『日と影の王子』では聖徳太子の生涯、『天翔る白日』は天武朝期における大津皇子の悲劇的な生涯を描いている。これらは、『日本書紀』『古事記』を独自に読解し、また舞台となった土地にも取材し、時に通説と異なる独自の歴史解釈や想像も盛り込んでいる。 『天の川の太陽』については「激動期に生きた人間の物語」「大海人皇子に仕えた舎人達も主人公といって良い」と自身で語っている。『弓削道鏡』では、『続日本紀』などをもとに道鏡の栄達への道のりと孝謙天皇との関係を描き、「ひとりの無位の青年が、ふつうなら手のとどきようもない女性と愛恋におちる。その過程と結末を描く純愛物語です」と語った。 これらの執筆の方法について「私なりに勉強してきた二十数年の知識を土台に、時にイマジネーションを駆使して推理し、分析するということです。そうでなければ作家である私が古代史の謎に取り組む意味がない」、及び「やはり人物に対する人間的な共感ですね。それが湧いてこなかったら、いくら歴史的に見て面白い題材でも、事件や人物に関するイメージがはっきりしてこない」「滅びるのがわかってて、大きな流れの中で自分なりに必死に抵抗している姿というか、生きざまの方を僕は書きたいですね」と述べている。『日と影の王子』終章では、作者独自の見解として厩戸王子が十七条憲法を作ったかどうか、大王の地位に就いたが蘇我入鹿の圧力で政治から身を引いたのではないかといった自説も述べたのに続いて、歴史に関するエッセイで様々な説を述べ、1991年に見瀬丸山古墳の内部が撮影された際には、「私の推古女帝観がが根底から揺らぐような事実が判明した。」と、自説の見直しもしている。また古代史ブームについては、高度成長期を過ぎた日本での「時代の流れの中で生まれた日本人の血と日本民族特有の知的欲求の産物」とも述べている。これら古代史小説は、古代の中国や朝鮮半島の情勢の影響を考慮した独特の歴史解釈と、現代小説とも共通する人間分析が特徴となっている。 1980年に『天の川の太陽』で吉川英治文学賞を受賞、1992年には一連の古代歴史ロマンにより菊池寛賞を、「古代に材をとり巷説伝承を越えて、雄大な構想と艶やかな情感で、時代に光芒を放つ新しい人間像を創出した一連の歴史ロマンに対して」として受賞している。他の代表的な作品に『白鳥の王子ヤマトタケル』などがある。1984年から直木賞選考委員。奈良文学賞選考委員も務めた。 自伝的小説として、宇陀中学時代を振り返る「春の傷」(1993年)、流行作家時代に趣味のクルーザーで釣りをしながら様々な想念に耽る「ボート物語」(1992年)、長年交流があるノンフィクションライターで長編小説『廃虚の唇』『詐欺師の旅』の題材を得たともいうS氏についての「霧の跫音」(1993年)、「霧の顔」(1993年)、86歳で亡くなった母の死を振り返る「或る戦士」(1991年)、「脳死の残映」(1994年)なども執筆した。 2003年、肝不全により死去。死後に書斎から、入院中に完成させた『闇の左大臣 石上朝臣麻呂』の連載最終回の原稿が発見され、陳舜臣、田辺聖子、津本陽、北方謙三の追悼文とともに掲載された。 人物評として、水上勉「文壇のどの徒党にも属さない一匹狼」、瀬戸内晴美「きゃしゃで繊細で、どこか痛々しい感じのする外貌をもつが、実はタフでねばり強く、けんかに強く、女にも強いスーパーマンである。しかし神経だけは外貌のごとく繊細である」がある。大阪で生まれ育ったが、東京出身の母の影響で大阪弁よりは標準語に近い喋り方と言われた。またヘビースモーカーだったが、1970年頃に入院した際に禁煙し、10年後から量を減らして喫煙を再開した。弟子に難波利三がおり、難波が『てんのじ村』で第91回直木賞候補となった際、連城三紀彦の単独受賞でもおかしくなかったところを黒岩が猛烈に後押しして難波の同時受賞を実現した。
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