現代小説
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日本のハードボイルド史の起点を定めるのは容易ではない。山本周五郎が黒林騎士の変名で『新青年』1948年2月号に発表した「失恋第五番」、同3月号に発表した「失恋第六番」 はハードボイルドふうの文体で書かれており、大藪春彦が触発されたとの指摘もある。また島田一男も『宝石』臨時増刊号(1949年7月)に発表した「拳銃と香水」を皮切りに行動的な新聞記者を探偵役に用いたブン屋物を次々に発表。軽快な文章を活かしたテンポのいい物語はハードボイルドを彷彿とさせる。さらに赤木圭一郎主演の「拳銃無頼帖」シリーズの原作者として知られる城戸禮が1950年頃から『青春タイムス』などのカストリ雑誌にアクション性の強い作品を発表しており、のちに「青樹ハードボイルド」(青樹社発行のハードボイルド・シリーズ)などで活躍する城戸のハードボイルド作家としての起点をこれらの作品に求めることができるのは間違いない。これ以外にも江戸川乱歩の推輓でデビューした本格推理作家の鷲尾三郎が『探偵倶楽部』1954年4月号に「俺が法律だ」という題名からしてミッキー・スピレインを彷彿とさせる作品を発表しており、これらが日本ハードボイルド史の起点ないしは前史と位置づけることはできるものの、いずれも先駆的作品にとどまった。 明確にハードボイルドを意識して書かれ、今日的な眼で見てもハードボイルドと言い得る作品が書かれるようになるのは昭和30年代に入ってからである。その担い手となったのは、当時20歳前後の若者たちだった。1955年(昭和30年)、当時、東北大学文学部の学生だった高城高(本名・乳井洋一)は大学生である「私」(役名・高城)が米軍占領下の仙台で殺人事件を追う「X橋附近」(『宝石』1月増刊号)でデビュー。翌年には私立探偵・石原次郎を主人公とする「冷たい雨」(『宝石』1月増刊号)を発表した。デビュー作となった「X橋附近」については「国産ハードボイルドの嚆矢」(池上冬樹)との見方もある。また1958年には当時、早稲田大学教育学部の学生だった大藪春彦が「野獣死すべし」でデビュー(同人誌『青炎』、『宝石』7月号に掲載後、大日本雄弁会講談社より単行本化)。以降、タフで非情な主人公がアクションを繰り広げる作品を多数発表した。さらに1959年には河野典生が「ゴウイング・マイ・ウェイ」(『宝石』12月号)でデビュー。1963年には『殺意という名の家畜』で日本推理作家協会賞を受賞した。この3人には奇しくも生れが1935年で、かつデビュー作が掲載されたのが『宝石』という共通項があり、当時は「ハードボイルド三羽烏」と呼ばれたという。 それより前の世代では、1960年、島内透が書き下ろし長編小説『悪との契約』でデビュー。翌年にも同じく書き下ろし長編『白いめまい』を発表。「洗練されたセンス、ドライなタッチ、軽快なスピード」(同書カバー折り返しに記されたブラーブの一節)を特徴とする作風は「日本に初めて正統ハードボイルドが定着した感がある」(同カバー裏)と評された。また1959年のデビュー以来、様々なジャンルのミステリを手掛けていた結城昌治が『死者におくる花束はない』(1962年)からハードボイルドの分野に進出し、『暗い落日』(1965年)など私立探偵小説の傑作を発表する。さらに早川書房の編集者だった生島治郎も『傷痕の街』(1964年)で作家デビュー、『追いつめる』(1967年)で直木賞を受賞した。また1960年代前半からスパイ小説に新境地を拓いていた三好徹は、1968年から新聞記者を主人公にしたハードボイルド・スタイルの「天使」シリーズを書き始めた。仁木悦子も『冷えきった街』(1971年)などの三影潤シリーズで、優れたハードボイルド私立探偵小説を書く。また当初は純文学作家としてデビューした菊村到は江戸川乱歩の勧めもあって推理小説に移行し、1959年には失踪した男の行方を追う新聞記者が麻薬密売事件に巻き込まれてゆく『けものの眠り』を発表。社会派ミステリでありながら、ハードボイルド文体の犯罪小説ともなっており、翌年には鈴木清順監督により映画化もされた。 こうした社会問題を描く手法としてハードボイルドを取り入れた作品とは別に、純粋にアメリカ流のハードボイルド・タッチを楽しもうとする気風も出てきた。その担い手となったのは1958年にアメリカ版MANHUNTの日本版として創刊された『マンハント』に蝟集した作家・翻訳家たちで、その成果物として挙げられるのが中田耕治の『危険な女』(1961年)、山下諭一の『危険な標的』(1964年)、都筑道夫の贋作カート・キャノン・シリーズ(1960年)などである。また人脈としては異なるものの、小泉喜美子が津田玲子名義で新聞連載した『殺人はお好き?』(1962年/連載)もこれに加えても良いかも知れない。さらに時期はずれるものの、『マンハント』でプロの文筆家としてデビューし、その後、翻訳者・解説者としてハードボイルドの普及に貢献した小鷹信光や片岡義男も独自のハードボイルド作品を創作している。 1970年代になると、ハードボイルドにこだわり続ける戦後生まれの作家が現れる。短篇「抱きしめたい」(1972年)で小説デビューした矢作俊彦と、短篇「感傷の街角」(1979年)で登場した大沢在昌である。この2人は都会的な作風で、日本国産ハードボイルドの時代を築いた。また2人とも漫画原作も行った。 1970年代末から1980年代にかけて冒険小説がブームとなり、その担い手となった作家には船戸与一、佐々木譲、志水辰夫、逢坂剛、藤田宜永など、ハードボイルドにも意欲を見せた者が少なくない。中でも北方謙三は、日本的ハードボイルドのひとつのスタイルを作り上げた。1988年には原尞が登場、沢崎探偵シリーズ第2作の『私が殺した少女』(1989年)で直木賞を受賞する。また1989年には稲見一良が『ダブルオー・バック』でデビュー。肝臓癌による余命宣告を受けての作家デビューであり、1994年に63歳で亡くなるまでに7冊のハードボイルド小説を世に送り出した。 1990年代には東直己、藤原伊織、香納諒一、真保裕一らハードボイルドの書き手が登場した。また、桐野夏生の『顔に降りかかる雨』(1993年)や柴田よしきの『RIKO 女神の永遠』(1995年)、「暗い越流」で第66回日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞した若竹七海の葉村晶シリーズ、誉田哲也の『ストロベリーナイト』(2008年)松岡圭祐の『探偵の探偵』(2014年)など女性を主役にしたハードボイルド・タッチの作品も現れている。
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