現代嵩山少林寺との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/18 01:35 UTC 版)
「少林寺拳法」の記事における「現代嵩山少林寺との関係」の解説
昭和時代初期の中野理男(宗道臣)は、満洲勤務時代に嵩山少林寺を文太宗老師(北少林義和門拳第20代)と訪れ、北少林義和門拳の法門継承式を当寺にて行い、北少林義和門拳第21代正統継承者となっている。またその際に、白衣殿北壁の羅漢練拳図に描かれた相対演練を見て深く感銘を受け、さらに祖師(達磨)が「禅」と「易筋行」を嵩山少林寺に伝えたといわれることを偲ぶ意味から後日「少林寺拳法」と名称をつけた経緯がある。現在の中国共産党管轄下の現代少林拳は、凡そ文化大革命後に隆盛を経て成立した経緯を見れば、系譜上現在の嵩山少林寺の拳法と、少林寺拳法とは関係ないともいえる。中野が大陸滞在時に拳(義和団事件後に嵩山少林寺から流出したと言われる)の達人たちより指導を受けた各種の技法を採り入れ、また幼少時より祖父(宗重遠)から教わった日本の古武道、各種の戦闘技術を研究し集大成した拳法が少林寺拳法でもある。
※この「現代嵩山少林寺との関係」の解説は、「少林寺拳法」の解説の一部です。
「現代嵩山少林寺との関係」を含む「少林寺拳法」の記事については、「少林寺拳法」の概要を参照ください。
- 現代嵩山少林寺との関係のページへのリンク