文化大革命後
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1977年8月の文化大革命終了後は李先念・陳雲・王震らと共に鄧小平の復活に尽力した。1978年12月の華国鋒失脚後も胡耀邦政権下で党副主席、政治局常務委員として留任した。1978年3月から1983年6月までは全国人民代表大会常務委員会委員長として、中華人民共和国の国家元首格の地位にあった。 全国人民代表大会常務委員長を退任した直後の1983年6月20日に新設された中華人民共和国中央軍事委員会副主席に選出され、党と国家の軍事委員会副主席を兼任して軍に影響力を発揮した。1985年9月の第12期4中全会において、病気を理由に党中央委員・中央政治局委員・同常務委員から引退したが、引き続き中央軍事委員会副主席職には留まった。1986年10月22日に北京で死去した。89歳であった。 ちなみに毛沢東は葉剣英について、以下の対聯を贈っている。 諸葛一生唯謹慎 呂端大事不糊塗
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