文化学派、「関与しながらの観察」
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「ハリー・スタック・サリヴァン」の記事における「文化学派、「関与しながらの観察」」の解説
サリヴァンは人間の成長や精神障害の発症に対する後天的要因の研究を進めた。1930年代に彼の主催した「ゾディアック・グループ」に合流した学者には、カレン・ホーナイやエリク・エリクソンといった新フロイト派の精神分析家のほか、言語学者エドワード・サピア、政治学者ハロルド・ラズウェル、文化人類学者ルース・ベネディクトといった社会科学者が多い。彼は「精神医学は対人関係の学である」とし、精神疾患の根本原因を、成長過程における個々の具体的な対人イベント(の偏倚)にあると考えた。1940年代以降、アメリカ精神医学界でサリヴァンの臨床理論は絶大な影響力をもったが、彼の著作は没後ながく出版が差し止められていた。第一にはサリヴァンの同性愛への親和的言説(サリヴァン自身も同性愛者であった)が忌避されたことがある。これに加えて、フロイト理論への批判に対してアメリカ精神医学会から圧力が加えられたことも指摘されている。共産主義陣営との接触を疑われていたことも、マッカシーズム前夜の米国においてサリヴァンへの言及を困難にした。 彼は初期プラグマティズム、文化人類学(特にシカゴ学派)等、幅広い分野の学者と交流を持ち、その研究手法を自身の理論に柔軟に取り入れた。サリヴァンの言葉として有名な「関与しながらの観察」は、これら社会科学者との交流より得られた、精神活動の客観的観察が可能であるという前提への懐疑を表明したものである。この言葉は行動主義心理学を批判すると同時に、暗にフロイト派精神分析に疑義を投げかけるものであった。 サリヴァン自身はフェレンツィ・シャーンドルによる精神分析を希望していたが、自身の活動のため渡欧することができなかった。代わりに、共同研究者であったクララ・トムソンをフェレンツィのもとに送り、そこで学ばせた技法で自らに分析を行うよう指示している。(帰米後にトムソンが用いたのはウィルヘルム・ライヒの技法に近いもので、分析自体もサリヴァンによって中断された。トムソンはこれを「サリヴァンの性格武装のため」と振り返っている。) 1943年にはWilliam Alanson White Instituteを設立し、これが第二次大戦以降のアメリカにおける精神科医、精神分析家、ソーシャルワーカーの主要な訓練機関となった。初代理事長にクララ・トムソンを指名したが、教育方針をめぐる対立のために数年で辞職している。またこの時期よりチェストナット・ロッジ病院で臨床指導医となり、後に拒食症治療の第一人者となるヒルデ・ブルグを指導している。
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