カレン・ホーナイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/08/13 05:23 UTC 版)
|
|
この記事は英語版の対応するページを翻訳することにより充実させることができます。(2023年10月)
翻訳前に重要な指示を読むには右にある[表示]をクリックしてください。
|
| |
|
| 人物情報 | |
|---|---|
| 生誕 | 1885年9月16日 |
| 死没 | 1952年12月4日(67歳没) |
| 学問 | |
| 研究分野 | 医学(精神医学)・心理学 |
| 精神分析学のシリーズ記事 |
| 精神分析学 |
|---|
| |
カレン・ホーナイ(Karen Horney, 1885年9月16日 - 1952年12月4日)は、精神科医、精神分析家。新フロイト派とされる。フロイトの弟子のうちで、有名な5人の女流精神分析家の1人。[1]
経歴
・1885年 ドイツのハンブルク郊外の高級住宅街ブランケネーゼにフランドル系(オランダ系)の家庭に生まれた。
・1913年 ベルリン大学で医学博士号取得。
・1920年 ベルリン精神分析研究所に入所、講義を分担すると同時に分析者の訓練に当たる。
・1932年 アメリカ・シカゴに精神分析研究所を設立したフランツ・アレキサンダーの求めに応じ、シカゴに移住[1]。
・1934年 ニューヨーク精神分析研究所に移る。
・1941年 ホーナイ自身の精神分析組織である「精神分析発展のための協会」を設立。同時に「アメリカ精神分析学会誌」を創刊[1]。
・1952年 ホーナイを後援する人達によってホーナイ財団がつくられ、ホーナイ・クリニックも開設されたが、同年肺がんにより死去[1]。
研究内容・業績
精神分析の男性中心的な部分(女児の男根願望など)を批判した。フェミニズムにも影響を与えた。 日本でもその著作は注目され、『ホーナイ全集』全7巻(我妻洋, 安田一郎 編、誠信書房)がある。
エピソード
・晩年、コロンビア大学講師鈴木大拙と親交があった。1952年にはホーナイの弟子の近藤章久の案内で日本に滞在し、禅や森田療法の研究を行った。[2]
著作
関連項目
- 1 2 3 4 ダグラス・H・イングラム『ホーナイの最終講義』岩崎学術出版社、2000年、136頁。
- ↑ “Influence of Morita Therapy on Karen Horney`s Final Analysis”. Peg LeVine ・AUSTRALIAN PSYCHOLOGIST (1994年11月1日). 2026年8月13日閲覧。
- ↑ “Influence of Morita Therapy on Karen Horney`s Final Analysis”. Peg LeVine ・AUSTRALIAN PSYCHOLOGIST (1994年11月1日). 2026年8月13日閲覧。
- ↑ 近藤章久『セラピストがいかに生きるか』春秋社、2002年、160頁。
「カレン・ホーナイ」の例文・使い方・用例・文例
固有名詞の分類
- カレン・ホーナイのページへのリンク
