文化大革命の実態報道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 02:33 UTC 版)
当時フランスで盛り上がった「毛沢東への憧れ」はやがて文化大革命の実情が明らかになるにつれて、「毛沢東への幻滅」へとかわった。文化大革命とは「下からの革命」ではなく、毛沢東の権力闘争に利用された「上からの革命」であり、それは五月革命が志向した精神とはかけ離れたところにあった。その意味でフランスのマオイストたちはそれほど誠実に毛沢東と向きあってはいなかったと言える。フランス人によくあるように、漠然としたユートピアを東洋に夢見ていた。もっとも、実際にそれに罪があるというわけではないが、あまりにも無邪気かつ無知でもあり、反=スターリニズムの機運のなかで学生や思想家の体のいい希望の星となった感は否めない。 また、ベトナムと同じフランスの植民地であったカンボジアからの留学生であるポル・ポトらによって結成されたクメール・ルージュが文化大革命の影響を受けて築いた民主カンプチアで行ったその徹底的な重農主義・農本主義による恐怖政治と大量虐殺も報じられ、ディストピアをもたらした毛沢東主義者は大粛清を行ったスターリニストと同列視されることとなった。反帝国主義に固執してポル・ポト派を擁護して名声を失った有名な弁護士ジャック・ベルジェス(英語版)はその後のフランス社会では、独裁者と戦争犯罪人やテロリストなどの弁護も請け負ったことで「悪魔の弁護人」「恐怖の弁護士」と蔑まれるようになった。
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