執筆の動機とは? わかりやすく解説

執筆の動機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 10:27 UTC 版)

谷崎潤一郎訳源氏物語」の記事における「執筆の動機」の解説

谷崎がこの翻訳を行うこととなったきっかけについては、旧訳序文では「中央公論社社長嶋中雄作からの依頼による」とされている。嶋中雄作このような企画思いついた理由としては、文部省にいた国語学者の三宅武郎が現代作家による古典作品現代語化を企画し、嶋中に申し入れたことが発端になっているとされる。ただしこのプランで、谷崎割り当てられていたのは『源氏物語』ではなく栄花物語であったとされており、各作品「現代語訳」全訳ではなく抄訳であった考えられている。もう一つ、嶋中がこの時期抄訳ではない『源氏物語』現代語訳出版思い立ったきっかけとしては、抄訳ではあるが初めての『源氏物語』現代語訳出した与謝野晶子が、今度抄訳ではない『源氏物語』現代語訳出そうとしていることを知り、これに対抗しようしたためではないかという理由挙げられることもある。 この他谷崎自身による理由としては、旧訳序文にもある「昔から源氏物語に深い関心抱いてきた」という言葉から自身内的衝動求め見解かつては盛んに唱えられたが、谷崎自身による随筆にくまれ口』や伊吹和子証言など、これに反す証言資料多く存在することが知られるようになったために、近年ではこれを根拠にする見解はあまり見られない正宗白鳥による評論にその根拠求め見解もある。白鳥谷崎訳の作業が行われる前に完成したアーサー・ウェイリーによる『源氏物語』英語訳極めて高く評価し、「私はこの英訳出現によって初め源氏物語何が書いてあるのかを知ることが出来た。」と述べており、また一つ前作品である『春琴抄』を絶賛した白鳥が、同時期の随筆の中では雑誌改造』に連載されていた谷崎最新作である戯曲顔世』を、「前作と同じ程度技量で同じ程度作品作り出すことは芸術家としては全く無意味な行為である」と酷評したことが、「源氏物語現代語訳」というそれまで誰もなしえなかった大事業への原動力になったではないかとの指摘もある。 後に1960年昭和35年)ごろに谷崎松子伊吹和子語ったところによると、松子谷崎に対して語ったお茶お花ピアノお稽古などと同じように、自分教養一つとして源氏物語読みたいが、原文のままでは難しすぎるし、いまある訳本学問的な物でいまひとつわかりやすいものがみつからない与謝野晶子訳もわかりやすいダイジェストである。自分や妹のような女性読めるような現代語全訳で、嫁入り道具になるような豪華な源氏物語の本が欲しい」という要望対応するためであるとしている。この「嫁入り道具になるような豪華な源氏物語の本が欲しい」という点について、実際普及版とは別に豪華愛蔵版」が作られることになった谷崎は、残され手紙の中で翻訳文体などと並んで時にはそれ以上製本装幀について深い関心示し、しばしば積極的な意見述べている。また雨宮庸藏日記中でも谷崎製本装幀について関心示していることを窺わせる記述存在する

※この「執筆の動機」の解説は、「谷崎潤一郎訳源氏物語」の解説の一部です。
「執筆の動機」を含む「谷崎潤一郎訳源氏物語」の記事については、「谷崎潤一郎訳源氏物語」の概要を参照ください。


執筆の動機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/02 03:37 UTC 版)

赤松宗旦」の記事における「執筆の動機」の解説

天保11年1840年5月老中水野忠邦による「天保の改革」が始まり印旛沼開発計画される単なる新田開発ではなく北浦鹿島灘間の運河開削、さらに印旛沼江戸湾岸・検見川浦間運河開削を伴う。東北地方物資積んだ船が、太平洋から江戸直行できる物流幹線整備する計画だった。利根川流域環境に与える影響大きい。『利根川図志』の自序には「皆係利根川之事、吾生其傍、不能無感」とあり、幕府はばかって控えめ表現になってはいるが、複雑な心情吐露している。水野忠邦失脚により印旛沼開発中止されたものの、その後再開動き絶えなかった。利根川の姿を記録残したいという宗旦の思いが、『利根川図志』執筆の動機になった考えられる

※この「執筆の動機」の解説は、「赤松宗旦」の解説の一部です。
「執筆の動機」を含む「赤松宗旦」の記事については、「赤松宗旦」の概要を参照ください。


執筆の動機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 13:53 UTC 版)

戦藻録」の記事における「執筆の動機」の解説

宇垣1938年昭和13年12月から1941年昭和16年2月まで軍令部第一部長作戦部長)の地位にあったこの間 支那事変膠着状態脱却できず、日独伊三国同盟締結仏印進駐などが行われ日米関係悪化の一途をたどる宇垣三国同盟反対であった最終的に賛成したこと、支那事変解決することができなかったこと、また仏印進駐についても自責の念持っていた。宇垣日米戦わずとの大方針にもかかわらず日米戦争現実のものとなってきた状況現職連合艦隊参謀長である身を思い、「公務上の事も、個人的の事も一切構はず、その日その日まかせて書き綴る事は将来ナニガシカの為に必要と考へる」として執筆開始した。 プランゲは公刊されることを想定して書かれたものである見ている。

※この「執筆の動機」の解説は、「戦藻録」の解説の一部です。
「執筆の動機」を含む「戦藻録」の記事については、「戦藻録」の概要を参照ください。


執筆の動機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/19 09:02 UTC 版)

ザ・レイプ・オブ・南京」の記事における「執筆の動機」の解説

チャン少女時代より、両親から「南京大虐殺」の話を聞いていた。しかし小学生の頃、図書館で「南京大虐殺に関する書物探したが何も見つからず学校その事件について教えられることもなかった。20年後に、この事件に関する記録映画制作していたプロデューサー出会い、この事件に再び向き合うことになった1994年サンノゼ市近郊中国団体世界抗日戦争史實維護聯合會」が主催した集会参加したときに、会場展示されていた日本軍による残虐行為とする写真を目にして衝撃を受け、本書執筆決意したとされる

※この「執筆の動機」の解説は、「ザ・レイプ・オブ・南京」の解説の一部です。
「執筆の動機」を含む「ザ・レイプ・オブ・南京」の記事については、「ザ・レイプ・オブ・南京」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「執筆の動機」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「執筆の動機」の関連用語

執筆の動機のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



執筆の動機のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの谷崎潤一郎訳源氏物語 (改訂履歴)、赤松宗旦 (改訂履歴)、戦藻録 (改訂履歴)、ザ・レイプ・オブ・南京 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS