利根川図志
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/19 18:40 UTC 版)
『利根川図志』(とねがわずし)は、江戸時代末期に赤松宗旦(あかまつそうたん)が著した利根川中・下流域の地誌である。
- ^ a b 赤松 宗旦『利根川図志』(柳田國男 校訂、岩波文庫)、1938年、28-33頁(自序、凡例)
- ^ 川名 登 『評伝 赤松宗旦-『利根川図志』が出来るまで』 彩流社、2010年、157-161頁(『利根川図志』の完成)
- ^ 川名 登 『評伝 赤松宗旦-『利根川図志』が出来るまで』 彩流社、2010年、184-197頁(諸国売弘めの許可)
- ^ 川名 登 『評伝 赤松宗旦-『利根川図志』が出来るまで』 彩流社、2010年、30-39頁(『利根川図志』の著者-宗旦義知)
- ^ 赤松宗旦『利根川図志』(柳田國男校訂・解題、岩波文庫、初版1938年)、3-14頁
- ^ 巻一の凡例にも「巻中の画図名印無きは葛飾北斎なり」とあるが、葛飾北斎は嘉永2年(1849年)に90歳で没している。そこでこれは二代目北斎だろうといわれている(川名登『評伝 赤松宗旦-「利根川図志」が出来るまで』208頁)。また岩波文庫版『利根川図志』の解題には、「土地の人の言つて居るのは、北斎は一時師匠の許をしくぢつて、爰へ来て匿れて居たことがある。其間に描いたものだから落款を入れていない」という真偽不明の話を伝えており、「或はその又弟子の一人などが、中に立つて何か策略したことが、斯ういふ風に誤り伝へられたのであらう」と述べている。
- ^ 川名 登 『評伝 赤松宗旦-『利根川図志』が出来るまで』 彩流社、2010年、207-223頁(『利根川図志』に画いた絵師たち)
- ^ 川名 登 『評伝 赤松宗旦-『利根川図志』が出来るまで』 彩流社、2010年、198-202頁(「続編」の執筆と死)
- ^ 赤松宗旦『利根川図志』(柳田国男 校訂、岩波文庫)、1938年
- ^ 本文では新井氏と表記
- ^ 祠の通称
- ^ 「名物」「潮来曲の唄」を含む
[続きの解説]
「利根川図志」の続きの解説一覧
- 1 利根川図志とは
- 2 利根川図志の概要
- 3 参考文献
- 利根川図志のページへのリンク