執筆の準備
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嘉永6年(1853年)、宗旦から君塚玄圃に対して、『利根川図志』執筆のために必要な引用書の入手を依頼する書状が残っており、このころに準備を始めていたことが分かる。玄圃は宗旦の執筆活動支援者の一人である。『相馬日記』、『閑窓瑣談』、『古我志』、『各所方角抄』の入手を依頼するとともに、『北条分限帳』、『房総古伝説』、『千葉盛衰記』、『常陸風土記』、『大八州之記』、『和名抄』、『物類称呼』なども玄圃から借用している。 安政元年(1854年)12月、書籍・資料だけでは足りない情報を補うために、利根川中流の関宿・五カ村方面に向けて、取材旅行に出発した。このときの様子は、宗旦のメモ帳である『笏記』に詳しく記されている。なお、取材旅行から帰宅直後の安政2年(1855年)正月、妻「トヨ」が死去している。
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