出版と販売とは? わかりやすく解説

出版と販売

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/02 03:37 UTC 版)

赤松宗旦」の記事における「出版と販売」の解説

安政2年1855年以降は『利根川図志出版のため、江戸訪問繰り返した。このときの様子も、『笏記』などから詳しく知ることができる。同年2月江戸・本所の深河潜蔵訪ねた潜蔵は「深河(深川)元儁」とも呼ばれ、宗旦の情報収集出版業務支援。多分野学問通じ平田篤胤国学幡崎鼎蘭学学んでいる。本草学にも強い関心持った人物である。このころ三女「ちか」がまだ小さかったこともあり、宗旦は「たけ」と再婚した同年9月、再び江戸訪問し、『利根川図志』の版木巻一と巻二の一部)を受け取る。このときも深河潜蔵宅で蔵書閲覧している。 安政3年1856年8月大地震から1年後江戸訪問。深河潜蔵は既に亡くなっていたが、出版元となる文会堂訪れ挿絵作成依頼するために絵師尋ね回った。同4年1857年正月、閏5月続けて江戸訪問して挿絵作成依頼したほか、残った版木用紙入手した。 『利根川図志』は出版こぎつけるまでに時間かかっているが、『利根川図志調帳』(後述)には「安政4年1857年10月に『利根川図志』が完成し取材協力者送った」と記載されているので、このころには製本完了したことが分かる安政5年1858年3月利根川下流銚子方面向けて布川出発し各地訪問先で『利根川図志』の販売依頼した。このときの様子は『銚子日記』(後述)に詳しい。 同年安政5年4月幕府聖堂学門所から正式に利根川図志』の出版許可された。引き続き出版元須原屋江戸南北町奉行所に「諸国弘め」の願い提出し7月許可下りた前年製本された並本・特製本、計640部(『利根川図志調帳』による)の販売開始書店での販売だけではなく、宗旦自らも303部を販売している。なお、現存する利根川図志』の一部には、販売開始時と異な書店名が奥付見られることから、時期部数不明だ再刊行われ、さらに多く部数頒布されたと考えられる

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「出版と販売」を含む「赤松宗旦」の記事については、「赤松宗旦」の概要を参照ください。

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