出版に至る経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 03:35 UTC 版)
山辺と金田一の出会いは1907年に遡る。金田一がアイヌ語調査に樺太を訪れた際、日本語を解する山辺がアイヌへの聞き取りに協力した。このときには山辺自身は聞き取りの対象となっていない。 その後、1910年11月、南極探検に赴く前に上京した山辺が金田一のもとに立ち寄り、アイヌ語文献の翻訳に関する質問を受けた。本書のもとになった聞き取りは、1912年の帰国後におこなったと金田一は本書の「凡例」に記している。 山辺はアイヌであったが、金田一によると聞き取りをした当時は「日本語が上手」でアイヌ語は「比較的不得手」であった。当初は山辺が話した内容を金田一が速記し、それを元に年代順に整理し章立てした日本語の文章を山辺に読ませて口述でアイヌ語に翻訳させようとした。しかし、山辺の話す内容が日本語文の「梗概」といえるようなものにしかならず、分量が不釣り合いになったことからこの翻訳を破棄し、山辺がアイヌ語で話した内容を金田一が和訳した。「上編」はこの手法によって作成された。「下編」になると山辺がアイヌ語で話すのに慣れてきたことから、それを速記して邦訳したものを本文としたという。 山辺に対する聞き取りは、南極に出発する前にもあった可能性が指摘されている。 本書の出版当時、金田一はまだ学問的な名声を伴わない立場であったため、大手出版社であった博文館からの刊行については、金田一への支援を惜しまなかった柳田國男の援助があったのではないかと須田茂は指摘している。
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