文化面での影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 00:18 UTC 版)
河岸は物流だけでなく、寺社参詣や物見遊山の人たちも利用した。河岸には大きな宿場や遊郭を持つものも現れ賑わいを見せた場所もあり、様々な人物の交流場ともなった。そのような交流により河岸地域では文化人や学者なども生み出した。代表的な人物としては、佐原河岸の商人を務めた後、隠居後に日本地図作成で有名な伊能忠敬や、布川の河岸で医者をしていて、「利根川図志」を執筆した赤松宗旦などがいる。 また、徳川家光と沢庵宗彭が、かつて品川にあった河岸にて無理問答を交わした「問答河岸跡」という旧跡がある。
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