小林 (印西市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/14 03:41 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動小林 | |
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![]() 小林駅駅舎 | |
北緯35度49分36.0秒 東経140度11分45.5秒 / 北緯35.826667度 東経140.195972度 | |
国 |
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都道府県 |
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市町村 |
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地区 | 小林地区 |
人口 | |
• 合計 | 2,997人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
270-1318[2] |
市外局番 | 0476[3] |
ナンバープレート | 習志野 |
※座標・標高は小林砂田集会所付近 |
小林(こばやし)は、千葉県印西市の大字。郵便番号270-1318[2]。
地理
北は栄町南、北東は本埜小林、竹袋、東は物木、南東は笠神、南は物木、小林大門下、南西は滝、西は平岡に隣接している。
歴史
江戸期は小林村であり、下総国印旛郡のうち。印西領、印西筋に属す。はじめ旗本永井氏・三宅氏・佐橋氏の相給、寛文3年から幕府領、元禄14年から佐倉藩領、享保8年から淀藩領。村高は、「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに992石余。なお、延宝元年の新田検地により、同年250石余が改増。享保8年「淀藩郷村帳」によれば、小物成として夫役永2貫284文・野銭永1貫878文・山銭鐚15貫468文などを上納(田辺家文書)。明和9年明細帳面によれば、家数155・人数655、馬43、水戸街道我孫子宿の助郷村、郷蔵3か所がある(篠原家文書)。明治初年西小林新田を合併。明治6年千葉県に所属。寺社は鳥見神社、寺院は天台宗光明寺・西福寺(印旛郡誌)。明治22年に木下町の大字となる[4]。
年表
- 1873年(明治6年) - 千葉県に所属。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 木下町大字小林になる。
- 町村制施行し竹袋村、別所村、宗甫新田、平岡村、小林村が合併し木下町が発足。
- 1954年(昭和29年)12月1日 - 印西町小林になる。
- 1996年(平成8年)4月1日 - 印西市小林になる。
- 印西町が市制施行し、印西市になる。
世帯数と人口
2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
小林 | 1,309世帯 | 2,997人 |
施設
- 印西市立小林小学校
- 小林砂田集会所
- 小林台方集会所
- 小林馬場集会所
- 小林新田集会所
- 小林牧場
- 鳥見神社
- 御嶽神社
- 大鷲神社
- 南弘防稲荷神社
- 光明寺
- 常不軽寺
- 西福寺
- 専念寺
- 観音堂
- 一番割公園
- 三番割幼児公園
- 宿第1幼児公園
- 宿第2幼児公園
交通
鉄道
道路
脚注
関連項目
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栄町南 | 本埜小林、竹袋 | ![]() | |
平岡 | ![]() |
物木 | ||
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滝 | 小林大門下、物木 | 笠神 |
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「小林 (印西市)」の例文・使い方・用例・文例
- 小林さんは我がグループの新しいリーダーです
- 私は小林です。
- 私、有限会社松下不動産の購買部の主任の小林と申します。
- 小林はその音楽に夢中だ。
- 小林君はハワイで大変楽しい思いをして, すこぶるご機嫌で帰って来た.
- 小林氏を中軸としてこの仕事は推進されてきた.
- ご主人に青森の小林が来たと取り次いで下さい.
- 小林君のやったことではあるまい.
- 小林市という市
- 小林檎という植物
- 最年長は60歳の小林伸明選手だ。
- 俳優の哀(あい)川(かわ)翔(しょう)さん,女優の小林聡(さと)美(み)さんはトップテン内に初めて入った。
- 日本の最初のメダルは,バイアスロン女子12.5キロ視覚障害で小林深(み)雪(ゆき)選手によって獲得された金メダルだった。
- 昨年の夏,小林選手はエスカレーターから転落し,右足首に重傷を負った。
- 先日,俳優で歌手の小林旭(あきら)さん(68)が日本プロゴルフ協会の名誉会員に選ばれた。
- 小林さんは1993年からシニア大会に出場して良い成績を収めていることから,同協会は小林さんを名誉会員第1号に選んだ。
- 同協会の会長で小林さんの親しい友人でもある松井功(いさお)さんは,「小林さんは今68歳だが,ドライバーで280ヤードまでボールを飛ばせる。」と話した。
- 小林さんは,「一時はプロゴルファーになろうと考えたこともあったが,当時俳優としての収入が多かったので,その考えを断念した。」と話した。
- 1年生の小林夏(なつ)希(き)投手は,2004年から2006年まで硬式野球の日本代表チームのメンバーだった。
- その受賞者は,シカゴ大学名誉教授の南(なん)部(ぶ)陽(よう)一(いち)郎(ろう)氏(87),高エネルギー加速器研究機構名誉教授の小林誠(まこと)氏(64),京都産業大学教授の益(ます)川(かわ)敏(とし)英(ひで)氏(68)である。
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