相嶋_(印西市)とは? わかりやすく解説

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相嶋 (印西市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/29 09:41 UTC 版)

日本 > 千葉県 > 印西市 > 相嶋 (印西市)
相嶋
相嶋
相嶋の位置
北緯35度50分39.2秒 東経140度8分33.9秒 / 北緯35.844222度 東経140.142750度 / 35.844222; 140.142750
日本
都道府県 千葉県
市町村 印西市
標高
6 m
人口
2017年(平成29年)10月31日現在)[1]
 • 合計 29人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
270-1321[2]
市外局番 0476[3]
ナンバープレート 習志野

相嶋(あいじま)は、千葉県印西市大字郵便番号270-1321[2]

地理

北は我孫子市布佐、東は茨城県利根町布川、南は浅間前、西発作に隣接している。

小字

小字は以下の通り[4][5]

  • 六軒堤根南(ろっけんつつみねみなみ)
  • 六軒堤根北(ろっけんつつみねきた)

歴史

江戸時代は相島新田であり、下総国相馬郡のうち。江戸前期から手賀沼開墾により成立した新田村。

寛文年間(1661年~1673年)に開発され、1682年(天和2年)から手賀沼新田請方の反高場となり、年貢を上納。1725年(享保10年)までは布佐村下あるいは布佐村分と称した所のうちと思われ、幕府領。1730年(享保15年)筧播磨守により手賀沼古新田のうち相島新田として検地され村高21石余、さらに1766年(明和3年)・1794年(寛政6年)にも検地が行われ、村高27石余となり、以後村高は『天保郷帳』『旧高旧領取調帳』ともに27石余で、『元禄郷帳』には見えない。1866年(慶応2年)の割付によると、田2町8反余。小物成には、鳥猟運上1貫880文、沼役永333文。鳥猟の布瀬村を親浜とする浜組へは1836年(天保7年)から参加。検地帳での屋敷数は、享保年間(1716年~1736年)に1、明和年間(1764年~1772年)に2[4]

沿革

世帯数と人口

2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字 世帯数 人口
相嶋 19世帯 29人

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]

番地 小学校 中学校
全域 印西市立大森小学校 印西市立印西中学校

交通

道路

脚注

  1. ^ a b 印西市の人口と世帯数”. 印西市 (2017年11月2日). 2017年11月13日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月13日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月13日閲覧。
  4. ^ a b c d 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 51頁
  5. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 1449頁
  6. ^ 印西市立小・中学校の通学区域”. 印西市 (2017年4月4日). 2017年11月13日閲覧。

関連項目




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