浦部村新田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/29 07:45 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動浦部村新田 | |
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北緯35度49分48.4秒 東経140度6分4.7秒 / 北緯35.830111度 東経140.101306度 | |
国 |
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都道府県 |
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市町村 |
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地区 | 永治地区 |
標高 | 5m |
人口 | |
• 合計 | -人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
270-1368[2] |
市外局番 | 0476[3] |
ナンバープレート | 習志野 |
※座標・標高は北浦機場付近 ※人口は非公表の為、省略 |
浦部村新田(うらべむらしんでん)は、千葉県印西市の大字。郵便番号270-1368[2]。
地理
西から北は柏市布瀬、東は発作、南東は白幡、南は浦部に隣接している。
歴史
江戸期は浦部村新田であり、下総国印旛郡のうち。印西領に属す。浦辺村新田とも書く。享保改革期の幕府の年貢増徴政策の一環として、延享・寛延期に推進された流作場新田の1つ。当新田は浦辺村の村請によって開発された。はじめ反高場で、水深1尺までを開発対象とされたため葭畑・芝畑などが中心であった。明和5年にの新田検地により高請され成立。幕府領。「元禄郷帳」には見えず、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに87石余。明治22年永治村の大字となる。[4]。
年表
- 1873年(明治6年) - 千葉県に所属。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 永治村大字浦部村新田になる[4]。
- 町村制施行し浦部村、小倉村、和泉村、白幡村、浦幡新田、浦部村新田、高西新田、平塚村が合併し永治村が発足。
- 1954年(昭和29年)12月1日 - 印西町浦部村新田になる。
- 1996年(平成8年)4月1日 - 印西市浦部村新田になる。
- 印西町が市制施行し、印西市になる。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 印西市立木刈小学校 | 印西市立木刈中学校 |
施設
- 小船戸給水場
- 北浦機場
交通
道路
脚注
- ^ “印西市の人口と世帯数”. 印西市 (2017年11月2日). 2017年11月13日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月13日閲覧。
- ^ a b 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 158頁
- ^ “印西市立小・中学校の通学区域”. 印西市 (2017年4月4日). 2017年11月13日閲覧。
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