ペリクレス
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ペリクレス(ペリクレース、古希: Περικλῆς、紀元前495年? - 紀元前429年)は、古代アテナイの政治家・将官であり、アテナイの最盛期を築き上げた重鎮として有名である。また、彼と愛人アスパシアとの間に生まれた庶子で、後に軍人になった小ペリクレスと区別して大ペリクレスとも呼ばれる。
- ^ Paparrigopoulos, Konstantinos (Karolidis, Pavlos) (1925), History of the Hellenic Nation (Volume Ab). Eleftheroudakis, Aa, 221.
- ^ Plutarch, Pericles, XXIV
- ^ Tracy, Stephen V. (2009). Pericles: A Sourcebook and Reader. Berkeley: University of California Press. p. 19
- ^ Plutarch, Pericles, XXXVI
- ^ カール・ポランニー 『人間の経済2 交易・貨幣および市場の出現』 玉野井芳郎・中野忠訳、岩波書店〈岩波モダンクラシックス〉、2005年
- ^ Kennedy, Rebecca Futo (2014). Immigrant Women in Athens: Gender, Ethnicity and Citizenship in the Classical City. p. 17
- ^ Plutarch, Pericles, XXXVII
- ^ W. Smith, A History of Greece, 271
- ^ トゥキディデス『戦史』巻二 35〜46
- ^ トゥキュディデス『歴史』1.139
- 1 ペリクレスとは
- 2 ペリクレスの概要
- 3 生涯
- 4 後世への影響
ペリクレス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 10:50 UTC 版)
紀元前5世紀、古代アテナイの指導者ペリクレスによる葬送演説より。多数者の公平、法的平等、私生活の自由、法の支配などをポリスの理想と主張した。 われらの政体は他国の制度を追従するものではない。ひとの理想を追うのではなく、ひとをしてわが範を習わしめるものである。その名は、少数者の独占を排し多数者の公平を守ることを旨として、民主政治と呼ばれる。わが国においては、個人間に紛争が生ずれば、法律の定めによってすべての人に平等な発言が認められる。だが一個人が才能の秀でていることが世に分かれば、無分別なる平等の理を排し世人の認めるその人の能力に応じて、公の高い地位を授けられる。またたとえ貧窮に身を起こそうとも、ポリスに益をなす力を持つ人ならば、貧しさゆえに道を閉ざされることはない。われらはあくまで自由に公に尽くす道を持ち、また日々互いに猜疑の目を恐れることなく自由な生活を享受している。(中略)私の生活においてわれらは互いに掣肘を加えることはしない、だが事公に関するときは、法を犯す振る舞いを深く恥じおそれる。時の政治をあずかるものに従い、法を敬い、とくに侵された者を救う掟と、万人に廉恥の心を呼ぶさます不文の掟とを、熱く尊ぶことを忘れない。まとめて言えば、我等のポリス全体はギリシア人が追うべき理想の顕現であり、われら一人一人の市民は、人生の広い諸活動に通暁し、自由人の品位を持し、己の治世の円熟を期することができると思う。 — トゥキディデス『戦史』
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