内乱の一世紀とは? わかりやすく解説

内乱の一世紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/22 06:03 UTC 版)

内乱の一世紀(ないらんの1せいき)とは、共和政ローマ後期における、紀元前133年ティベリウス・グラックスとローマ元老院(セナトゥス)の対立によるグラックスの死から、紀元前30年オクタウィアヌスプトレマイオス朝を滅ぼし地中海世界を統一するまでの、およそ100年をさす。英語などでは共和政ローマの危機(Crisis of the Roman Republic)と呼ばれる。


注釈

  1. ^ 紀元前220年から紀元前168年の間
  2. ^ 不当利得返還請求に関するカルプルニウス法(Lex Calpurunia de repetundis)[12]
  3. ^ 紀元前95年の執政官で当代一の雄弁家。三頭政治のクラッススとは別人
  4. ^ ノビレス(新貴族)
  5. ^ ラテン人と同盟市への市民権付与に関するユリウス法(Lex Iulia de civitate Latinis et sociis danda)[32]
  6. ^ この事例は、よく「マリウスの軍制改革」によって、ローマ軍団が私兵化した結果とされるが、進軍したのはスッラだけでなく同僚執政官も共にであり、ローマ市では激しい抵抗を受けたものの、既存の枠組みから外れているとは言い切れない[39]
  7. ^ スッラ派長老議員を殺害したプラエトル
  8. ^ プロスクリプティオの対象者

出典

  1. ^ 砂田(2018), pp. 2–3.
  2. ^ 城江, p. 4.
  3. ^ ブライケン, p. 224.
  4. ^ ブライケン, pp. 8–9.
  5. ^ ブライケン, p. 10.
  6. ^ ブライケン, p. 167.
  7. ^ ブライケン, p. 168.
  8. ^ ブライケン, pp. 169–170.
  9. ^ ブライケン, p. 225.
  10. ^ 志内, p. 1.
  11. ^ 志内, pp. 1–4.
  12. ^ Rotondi, p. 292.
  13. ^ 大西 上, p. 30.
  14. ^ 砂田(2008), pp. 1–2.
  15. ^ 足立, pp. 31–32.
  16. ^ 砂田(2018), p. 20.
  17. ^ 栗田, p. 135.
  18. ^ ブライケン, p. 170.
  19. ^ ブライケン, pp. 170–173.
  20. ^ 砂田(2018), pp. 55–57.
  21. ^ 宮嵜(1), pp. 81–87.
  22. ^ 砂田(2018), pp. 54–57.
  23. ^ 砂田(2018), pp. 57–58.
  24. ^ Salmon, p. 107.
  25. ^ Salmon, p. 108.
  26. ^ Salmon, pp. 118–119.
  27. ^ Salmon, pp. 108–109.
  28. ^ Salmon, pp. 109–110.
  29. ^ Salmon, pp. 111–113.
  30. ^ Salmon, pp. 113–115.
  31. ^ MRR2, pp. 29–30.
  32. ^ Rotondi, p. 338.
  33. ^ 砂田(2018), pp. 1–2.
  34. ^ 砂田(2018), pp. 4–5.
  35. ^ 砂田(2018), pp. 15–16.
  36. ^ 砂田(2018), pp. 46–47.
  37. ^ MRR2, pp. 39–40.
  38. ^ 砂田(2018), pp. 18–19.
  39. ^ 砂田(2018), pp. 20–21.
  40. ^ 砂田(2018), p. 22.
  41. ^ 砂田(2018), pp. 24–25.
  42. ^ 砂田(2018), pp. 25–26.
  43. ^ 砂田(2018), pp. 27–29.
  44. ^ 砂田(2018), pp. 31–32.
  45. ^ 砂田(2018), pp. 32–33.
  46. ^ 砂田(2018), pp. 34–35.
  47. ^ プルタルコス, p. 349.
  48. ^ 砂田(2018), p. 37.
  49. ^ 砂田(2018), pp. 37–40.
  50. ^ 砂田(2018), pp. 41–43.
  51. ^ 砂田(2018), pp. 43–46.
  52. ^ 合阪・鷲田, p. 109.
  53. ^ 砂田(2018), pp. 58–59.


「内乱の一世紀」の続きの解説一覧

内乱の一世紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 15:31 UTC 版)

元老院 (ローマ)」の記事における「内乱の一世紀」の解説

元老院主導政治体制は、ローマ単なる都市国家キウィタス)、あるいは都市国家連合の長であった頃は上手く機能していた。その頃元老院議員ローマ貴族は、貴族と言えど単なる地域有力者過ぎず言ってみれば面倒見の良い者」というに過ぎずノブレス・オブリージュによる義務を果たす事を求められる存在であった。特にポエニ戦争ではその機能十全発揮した。 しかしローマ地中海全域勢力圏とする大国になるにつれ、ラティフンディウム普及により貧富の差拡大し元老院議員ローマ貴族は、特権にあぐらをかき、私利私欲優先する存在となった議員の質は低下し体制硬直化ていった。特に属州総督地位利用して蓄財は、共和政通じて問題であり続けた。ただ、多くローマ貴族はパトロヌスとして大勢クリエンテス保護する立場であり、「面倒見の良い者」で有り続けた。かつてローマ都市国家である当時は、ほとんどの構成員ローマ貴族=パトロヌスに保護されるクリエンテスであったのが、ローマという国家拡大するにつれてごく一部身内だけの保護者になってしまい、結果としてローマ貴族私利私欲優先するようになったという見方もできる。 そのような状況グラックス兄弟ローマ抱える問題見抜き、その改革着手したが、護民官立場弱さ護民官武力持たず、しかも元老院体制の外にあった故に失敗する。そこから元老院派閥族派)と民衆派争い、内乱の一世紀の幕が開ける。 その中でグラックス兄弟失敗踏まえ武力有し独裁官立場改革当たったのがルキウス・コルネリウス・スッラガイウス・ユリウス・カエサルである。スッラ元老院体制手直しし建前上は単なる諮問機関であった元老院実質的な権限付与し、その存続図った。さらに定員それまで300から600倍増させた。騎士階級などの新興有力者新たに元老院取り込んだが、定員増えることで議論百出の末に結論出ない、といった弊害悪化した。そしてカエサル元老院体制打倒新体制樹立目指しカエサル暗殺後後継者オクタヴィアヌスアウグストゥス)によって帝政完成した

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内乱の一世紀

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共和政ローマ」の記事における「内乱の一世紀」の解説

詳細は「内乱の一世紀」を参照 対極的没落運命たどったのは、ローマ軍中核をなしていた自由農民であった連年出征によって農地から引き離され、また属州より安価な穀物流入したため次第没落していく。この状況打開するために、グラックス兄弟が、平民支持得て土地分与改革実施しようとした。しかし紀元前133年に兄ティベリウス紀元前123年に弟ガイウス反対派によって命を落とし改革失敗終わった第三次ポエニ戦争の後も対外征服戦争および反ローマ反乱などによりローマ軍事活動は止むことがなかった(ヌマンティア戦争ユグルタ戦争同盟市戦争ミトリダテス戦争クィントゥス・セルトリウス反乱英語版)、3次奴隷戦争など)。また、初めゲルマン人ローマ領内侵入したのもこの時期であり(キンブリ・テウトニ戦争)、帝政ローマ期を通じローマ悩ませることとなったこうした軍事活動一方で自由農民没落で軍は弱体化様相見せ早急な改革必要性迫られていた。 こうした状況では、優れた指揮能力を持つ者を執政官に選ぶ必要があった。その顕著な例が平民兵士出身ガイウス・マリウスであった。彼は長期にわたる征服戦争へ動員没落した市民兵の代わりに志願兵制採用し大幅な軍制改革実施した。この改革ローマ軍事的必要を満たし、かつ貧民軍隊吸収することでその対策ともなったが、同時に兵士司令官私兵となって、軍に対す統制が効かなくなる結果もたらしたはじめに軍の首領としてローマ政治君臨したのはマリウスルキウス・コルネリウス・スッラであった。彼らの死後一時的に共和政平常復帰したが、やがて次の世代軍閥登場したポンペイウスカエサルクラッススの3人である。3人は元老院への対抗から第一回三頭政治結成したが、クラッスス死後、残る2人の間で内戦起きた地中海世界二分する大戦争は、紀元前48年ポンペイウス死んだ後もしばらく余波残したカエサル紀元前45年終身独裁官となったが、王になる野心疑われて、紀元前44年3月15日共和主義者によって暗殺された。この後カエサル派のオクタウィアヌスアントニウスレピドゥス第二回三頭政治行なったカエサル遺言状相続人指名されオクタウィアヌス紀元前31年アクティウムの海戦アントニウス勝利し紀元前27年に「尊厳者(アウグストゥス)」、「第一市民プリンケプス)」の称号得て共和政形式残しながらプリンキパトゥス事実上帝政)が始まった

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内乱の一世紀

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イタリアの歴史」の記事における「内乱の一世紀」の解説

ローマ共和国統治機構は、都市国家のそれから生まれたものであり、広大な領土統治するのに相応しい物ではなかった。元老院領土拡大される度に制度改良行い諸問題対処してきたが、大本都市規模国家統治するためのシステムである以上、そうした改革にも限界があった。それゆえローマ領内において様々な歪が生じ始めたが、硬直化した元老院はこれに対し制度抜本的改革ではなく軍隊動員して抑圧という短絡的な手段答えた紀元前139年ローマ揺るがす反乱発生シチリア島奴隷反乱)、騒乱自体は無事鎮圧されたものの、ローマにおける共和政明らかな行き詰まり見せ始めていた。この腐敗した共和政改革するべくティベリウス・グラックス護民官として制度改革推進するが、その過程元老院対立し紀元前133年志半ばにして支持者と共に非業の死遂げる。紀元前121年、兄の志を継がんとした弟のガイウスもまた元老院対立し失脚数千と言われる支持者達も処刑された。このグラックス兄弟の死と改革頓挫共和政ローマ混迷決定的なものとし、これにより内乱の一世紀が始まる。 その後軍人出身執政官ガイウス・マリウス上述「歪」一つである軍の弱体化自作農没落対処すべく軍制改革詳細マリウスの軍制改革参照)を行ない、軍の質的向上と失業農民雇用確保成功。またマリウスは自らの改革により精強さを取り戻したローマ共和国軍を率いゲルマニアからローマ領内侵入したゲルマン人軍勢大勝キンブリ・テウトニ戦争)するなど、ローマ国防再建成果挙げた。しかし軍内部イタリア同盟市民ローマ市民との待遇差が消えたため、彼らは同じローマ構成する住民として市民権付与求め始めるようになり、これを既得権益失われる考えた元老院ローマ市民拒絶したことで同盟市の大反乱引き起こすことになる(同盟市戦争)。更に軍を構成する兵士市民兵から職業軍人変化したことで軍からは世俗性が失われ次第議会民衆よりも直近の上司である将軍達忠誠心を抱くようになり、これは後に起き内乱一端となる。 紀元前88年、ついにローマ国内での内部対立オプティマテス閥族派)のルキウス・コルネリウス・スッラポプラレス民衆派)のガイウス・マリウス軍事的衝突という内戦状態発展しローマ混迷頂点に達するローマ人犠牲者6年間で数万となった内戦最終的な勝利を収めたスッラ独裁官となり、元老院権限強化進めたスッラ死後ローマスパルタクス首謀者とする第三次奴隷戦争紀元前73年-紀元前71年)を鎮圧したマルクス・リキニウス・クラッススオリエント一帯征服した軍の実力者グナエウス・ポンペイウス、そしてマリウスの甥として頭角現しつつあったガイウス・ユリウス・カエサルによる三頭政治移行する三頭政治一角占めていたカエサルガリア戦争紀元前58年-紀元前51年)の成功によって名声挙げクラッスス死後起きたポンペイウスらとの内戦にも勝利ローマ権力一手収める終身独裁官となり急進的な政治改革推進した。だがこうした大胆な改革専制的な独裁元老院中心とする国内共和派反感を買い紀元前44年3月反カエサル派の元老院議員たちによって暗殺された。 カエサルの姪の息子にあたり養子となってその後継いだオクタウィアヌスカエサル腹心であったマルクス・アントニウスらと同盟結んで共和主義者打倒した。しかし、その後主導権巡って両者の対立深まり再び内戦へ発展してしまう。オクタウィアヌスプトレマイオス朝エジプト女王クレオパトラ組んだアントニウスを、紀元前31年アクティウムの海戦破った。これにより内乱終結し、約1世紀に渡る混迷終止符打たれた。

※この「内乱の一世紀」の解説は、「イタリアの歴史」の解説の一部です。
「内乱の一世紀」を含む「イタリアの歴史」の記事については、「イタリアの歴史」の概要を参照ください。

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