ポプラレスとオプティマテス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 07:18 UTC 版)
「内乱の一世紀」の記事における「ポプラレスとオプティマテス」の解説
詳細は「ポプラレス」および「オプティマテス」を参照 「内乱の一世紀」はポプラレス(民衆派)とオプティマテス(閥族派)という対立の図式を基本として展開されてきた。 ポプラレス(populares)は、民会を自らの政治基盤とし、古代ローマ社会唯一の権力集合組織であった元老院の政治力に立ち向かおうとした勢力である。グラックス兄弟、マリウス、クラッスス、ポンペイウス、カエサル、そしてカエサル配下のオクタウィアヌス、レピドゥス、アントニウスがいる。ポプラレスたちの支持基盤は民会および市民集会にあり、プレブス達の歓心を買うため、自由ではあるが貧しい市民の社会保障や雇用に力を入れ、とくに無料でパンを配布するなど救貧活動を展開することが多かった。このほか、既存勢力に敵対したポプラレスはローマ市民権の拡大や軍団の私兵化によって自らの勢力の増強を図った。市民権の拡大は増加した新市民を自らの勢力とすることが期待でき、また私兵化した軍団は自身の政治目的実現のための実力となりえた。ローマ市民権を持つ自由民には人気が高かったが、既存勢力である元老院とは対立し、しばしば対抗権力として護民官の制度を活用した。カエサル暗殺後はポプラレス同士であるオクタウィアヌスとアントニウスの権力闘争となった。 オプティマテス(optimates)とは、こうしたポプラレスに対抗した人々をさした。元老院は「父祖の遺風」と呼ばれる伝統的保守的傾向の強いローマの政治風土のもと強い影響力を保持していた。既得権を有したノビレスを中心にポプラレスへの反対者は多く、これらの人びとは従来のローマの伝統の維持を求めた。したがって、軍の私兵化や元老院を凌駕する政治力を身につけようとする個人の台頭を警戒した。スッラやキケロが代表者である。 「内乱の一世紀」は、グラックス兄弟の改革の挫折より始まってオクタウィアヌスによる帝政開始で終わりを告げた。見方を変えれば、これは、ポプラレスによる元老院およびオプティマテスに対する挑戦と最終的な勝利への過程ととらえることも可能である。ただし、オクタウィアヌスの慧眼と周到さはこの内乱の性質と経緯をよく見定めていた。みずからへの権力集中が、決して君主政への逆行ではないことを行動であらわし、オプティマテスに属する人びとの不安と懸念をやわらげる配慮を示したのである。
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