政治風土
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高麗初代国王の王建は高麗王朝の安泰のためとして、十ヵ条の遺訓(訓要十条)を残した。第八条にて、高麗に最後まで抵抗した後百済のあった全羅道地域に対して、「姦巧な言語をもって権勢を弄し、政事を混乱させ、災変を起こすので、たとえ良民といえども、それに相応する位に登用してはならない」とした。後百済滅亡の際に、父の甄萱に子の神剣王が反逆した末路を念頭にしているが、反逆の地域であるとして政事に全羅道出身者は参加させないという差別意識がここから生まれ、他道出身者からの裏切り者の地という差別意識は後世に影響を及ぼした。 韓国独立後、朴正熙政権下の1970年代(第三共和国時代末期以降)に慶尚道との対立が発生した結果、1990年代以降(第六共和国時代)の全羅道は投票者の8割前後が左派政党に投票する強固な左派の地盤となっている。これは、全羅道出身の有力政治家である金大中と慶尚道出身の歴代大統領が対立したこと、1980年に光州事件が発生したことで慶尚道出身者が主流を占める保守政党への反発が大きくなった為であり、第六共和国で実施された国政選挙において金大中が結成した平和民主党の流れを汲む政党(現在は共に民主党)が地域内で第一党の地位を占めている。大統領選挙も同様であり、現行の選挙制度となった1987年5月の大統領選挙以降、全羅北道・全羅南道・光州広域市いずれも金大中か平和民主党の流れを汲む政党の候補者が最大得票者となってる。2019年4月5日の世論調査でも、全羅道のみが69%と飛び抜けて文在寅政権の支持率が高く、他の地方ではいずれも不支持率のほうが多かった。
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政治風土
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 02:08 UTC 版)
韓国の主要政党で、李明博政権(2008年2月25日~2013年2月24日)、朴槿恵政権(2013年2月25日~2017年3月10日)時代に与党だった自由韓国党(大邱市と慶尚北道を地盤としていた民主正義党と、釜山市と慶尚南道を地盤としていた統一民主党などが合同して1990年に結成された民主自由党の流れを汲む保守政党)はこの慶尚道を強固な支持基盤としていたが、2017年の大統領選挙では、自由韓国党の洪準杓が共に民主党の文在寅にPK地域で敗れ、翌2018年の統一地方選挙でも、釜山市長選、蔚山市長選、慶尚南道知事選で自由韓国党所属の現職・元職が共に民主党の新人候補に大差で敗れるなど、近年は慶尚道地域の政党支持に変化がみられる。
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