スッラの帰還と終身独裁官就任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 07:18 UTC 版)
「内乱の一世紀」の記事における「スッラの帰還と終身独裁官就任」の解説
紀元前86年、マリウスは7度目の執政官となったものの直後に死去し、新たに民衆派の指導者となったキンナは事実上の独裁制をしいた。キンナはミトリダテス6世の討伐のため「正規軍」を同僚のフラックスに託して派遣。スッラはポントス勢力と「正規軍」の両方に挟撃されて窮地に陥ったが、ミトリダテス6世軍に対して2度にわたり大勝した。ミトリダテス6世はスッラの恫喝により講和に応じ、キンナが派遣した「正規軍」はスッラの策謀によって戦わずしてスッラの軍勢に吸収された。これに危機感を覚えたキンナはスッラ討伐のための軍団を集めたが、その過程で事故死した。こうしてスッラは妨害されることなくイタリアへ上陸した。しかし、スッラによる報復を恐れた民衆派が必死になって抵抗したため、ローマへの帰還はさらに2年の歳月を要した。 マリウスとキンナ亡き後の民衆派はその後もスッラに抵抗したものの既にスッラの敵ではなく、紀元前81年、ローマを奪還したスッラは終身の独裁官(ディクタトール・ペルペトゥア)に就任。元老院の定員を600名に増員したほか、その権限を強化し、軍制の改革を断行するいっぽうで民衆派を大規模に粛清した。この6年にわたる内戦でローマの犠牲者は数万人におよんだ。
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