スッラとの戦いと最期とは? わかりやすく解説

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スッラとの戦いと最期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 05:48 UTC 版)

グナエウス・パピリウス・カルボ (紀元前85年の執政官)」の記事における「スッラとの戦いと最期」の解説

紀元前83年スッライタリア南部上陸しローマ進軍した。このときカルボプロコンスル前執政官権限ガリア・キサルピナ総督務めていた。スッラの軍は実戦鍛えられてはいたものの、その兵力3-4程度であったのに対し、両執政官兵力18から20達していた。しかし理由不明だが、両執政官共同作戦実施せずバラバラ戦い、そしてどちらも敗れた。それを知ったカルボローマ戻りスッラ側に寝返ってローマから脱出した元老院議員たちを国家の敵と宣言することを求めた実際に名前が分かっているのはクィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ピウスのみである。カルボローマ滞在中にユピテル・オプティムス・マキシムス、ユーノー、ミネルウァ神殿焼失した。これをスッラ派の放火とする見方もあるが、執政官あるいはカルボ指示したとの説もある。 スキピオ・アシアティクスとノルバヌスがスッラ大敗したため、翌年執政官にはカルボマリウス息子である小マリウス選ばれた。この結果にはクィントゥス・セルトリウス反対した。セルトリウスはマリウス派の著名な指導者一人であったが、おそらく自身執政官なりたかったのであろうカルボ小マリウスはセルトリウスをヒスパニア派遣したが、マリウス派の最も有能な将軍不在となることとなった。 年の初めから、両執政官次の作戦向けて積極的に準備始めた神殿宝物没収することで、莫大な戦費調達することができた。戦争終わった後でも、国庫には14,000リーブラの金と6,000リーブラの銀が残っていた(1リーブラは327g)。軍はマリウスの下で戦った退役兵士と、イタリア同盟都市兵士補充された。カルボメテッルス・ピウスおよびグナエウス・ポンペイウスと戦うためにイタリア北部行き小マリウスラティウムカンパニアスッラ戦ったカルボレガトゥス副司令官)であったガイウス・アルビウス・カリッナスとガイウス・マルキウス・ケンソリヌスは作戦初期段階敗北した。さらに、南部での小マリウス敗北知ったカルボは、アリミヌムに撤退したが、その後エトルリア転進した。そこでスッラの軍と遭遇する。クルシウムの戦いで勝敗はつかなかったが、これはこの内戦におけるスッラ唯一の失敗考えられている。その後カルボはプラエネステで包囲されていた小マリウス助けよう試み、ケンソリヌスの8個軍団とルキウス・ユニウス・ブルトゥス・ダマシップスの2個軍団派遣したが、どちらも敗北した。 フィデンティアの戦いでは、カルボ自身マルクス・テレンティウス・ウァッロ・ルクッルス敗北したカルボの下には未だ3の軍があったが、カルボアフリカ属州逃れたスッライタリアで戦争終了しプロスクリプティオ国家の敵)のリスト最初にカルボの名前を挙げたスッラポンペイウスカルボを追わせ、パンテッレリーア島カルボ捕縛した。 しかし、ポンペイウス三度執政官務めたことのあるローマ人拘束し、彼自身座っていた椅子前に立たせ、出席者憤り苛立ちのために、座ったまま尋問行った。そしてカルボ連れ出し死刑にするように命じた死刑に連れて行かれカルボは、既に剣が抜かれているのを見て腸の具合が悪いので少し用を足す時間ほしいと懇願したプルタルコス対比列伝ポンペイウス』、10. アッピアノスは、ポンペイウスが「すべての民衆の前でカルボ非難したと書きリウィウスは「死にあたって女のように泣き叫んだ」としている。ポンペイウスカルボ首級スッラ送った

※この「スッラとの戦いと最期」の解説は、「グナエウス・パピリウス・カルボ (紀元前85年の執政官)」の解説の一部です。
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