マリウスの下で
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 09:43 UTC 版)
「ルキウス・コルネリウス・スッラ」の記事における「マリウスの下で」の解説
当時のローマは、南方だけでなく北方にも問題をかかえていた。紀元前113年、キンブリ族やテウトネス族などがローマ領内に侵攻し、ローマ軍は各地で破れていた(キンブリ・テウトニ戦争)。スッラがユグルタを捕らえた直後の紀元前105年10月6日にも、クィントゥス・セルウィリウス・カエピオがアラウシオの戦いで大敗を喫していた。前104年から連続で執政官に当選したマリウスは、このような危機に対処するため大胆な軍制改革を推し進める。マリウスはスッラに嫉妬してはいたが、スッラを利用することにし、執政官の間に彼をレガトゥスやトリブヌス・ミリトゥムとして登用した。スッラはガリア人の一部族テクトサゲス族(英語版)のコピッルス王を捕らえ、マルシ人(英語版)を弁舌で同盟国にするなど功績を挙げた。
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